プログラミングの終焉と生存戦略
まとめと結論めいたもの:AI技術の発展により「プログラミング」と呼ばれる「人間の仕事を機械に引き継ぐ行為」のほとんどはゼロコストで行えるようになり、少なくとも今ほどの価値や競争優位の源泉とはならないだろう。今やるべきは、AIを自社の競争優位の源泉とするべく、まるで人材投資のようにAIへの引き継ぎ書を書くことと、AIの研修制度を作ることかもしれない。
プログラミングという仕事の終焉
著者もChatGPTがブームとなったときは、AIが仕事を奪う系の論調には懐疑的であった。実際まだ現時点ではChatGPTは人間の補助ツールでしかないし、補助ツール以上になるかどうかについては議論はある。
しかし、過去のAIブームやITバブルとファウンデーションモデル・生成AI・LLMと呼ばれる昨今の大規模なAIモデルの出現は以下のような意味で異なり、以下のような意味で革命的でありゲームチェンジである。
ゲームチェンジ①プラットフォーマーがすべてのアルゴリズムを包含した結果、用途開発が0へ。エンジニアリングコストが0へ。
今まで、翻訳や要約やチャットボットや感情分析というと別々のユースケースであり、それぞれに対してデータセットや用途開発やインターフェース開発を必要としていた。
一方で、大規模言語モデルなどの出現によりそれらの用途開発はChatGPTのようにすべて1つの大きなモデル(基盤モデル)に吸収され、プロンプトエンジニアリングによって切り替えも可能であることがわかってきた。
この流れは不可逆的であり、プラットフォーマーは更に強くなり、モデルのマルチモーダル化やさらなる大規模化によって、更にチューニングは不必要になる。これによりほとんどの個社・個別ユースケースごとの開発も少なく、企業横断のユースケースはHorizontalなSaaS機能としてプラットフォーム上に吸収されていくだろう。確かに今のChatGPTはたかが数千文字しか受け付けてくれないが、もちろんそれらはこれから大きくなるし、その背後に数億のコードが包含されている形になる。
ゲームチェンジ②自然言語によるフレンドリーなインターフェース。そしてマルチーモーダルへ。
今までプログラマーと呼ばれる人たちが、用途開発や導入支援やドメイン特化などの仕事を、特殊技能として担っていたわけではあるが、ご存知の通りLLMは人間にフレンドリーなインタフェースでプログラミングを可能とし、大げさに言えばプログラミングという仕事は終焉を迎えることとなると思われる。
例えも入れつつ具体的にいうと、プログラミングとは「人間の仕事をポンコツ機械くんにわかるように丁寧な言葉で引き継ぎ」をしてあげる仕事だった。例えば「レシート読んで経費精算しておいて」という作業を、人から人に引き継ぐには、ちょっとしたマニュアルとメモを書いておけば引き継げるが、人から機械に引き継ぐには、大量のコードとそれを支えるインフラが必要だった。一方で、AI技術の発展によってによってポンコツ機械くんが天才AIくんに変わった結果、もはや「レシート読んで経費精算しておいて」というちょっとしたプロンプトでAIへの引き継ぎが可能になってしまった。
このように、少なくとも今プログラミングと呼ばれる作業の殆どは形をかえる。多少なりとも現在のプログラミングに似たような作業は残るかもしれないが、それは今で言うところのエクセル関数を叩いたり、せいぜいマクロを組むぐらいのものかもしれない。もちろん、これらを広義のプログラミングと呼べる、円滑に動かすためのインフラ設計や上流工程やテスト工程などは残るかもしれないが、それらも今のプログラミングを前提とした社会からは大きく形を変えて、価値が薄いものになるように思われる。
事業会社における生存戦略を考える
自分は別にプログラマーという仕事がなくなるとかそんな何度も議論され尽くした話がしたいのではなくて、今プログラミング呼ばれているものが明らかに形は変わり価値の産み方が変わる中で、
事業会社として「どの領域に貼り、何を競争優位性の源泉としていくか」について議論したい。
投資先(主に事業投資)として考えられるものとして、
などが考えられるが、ここが極めて難しい。というのは、すでにアルゴリズムやプログラム、加えてそれを作る人達も価値の源泉とし辛い、さらにはデータと呼ばれるものも大概はマネタイズ方法が付いたものにはフェアバリューがついてしまっている。
SaaS企業はプラットフォーマーに集約されていき、
事業会社はディスラプトされていく?
OpenAIの企業価値は現在12.9兆円でありほぼソニー並(18兆円)、日本でもシードラウンドで45億円の調達をした生成AIベンチャーが現れたり、フランスではその約10倍の調達を目論む生成AIベンチャーが現れるかもと、この”プログラミング0社会”では極端な話プラットフォーマーだけが必要となるのでそのプラットフォーム候補にベンチャー投資家がシードラウンドで投資していくのは意味のある行為であると思える。
逆に言えば、遅かれ早かれプラットフォーマー以外の多くのSaaSと呼ばれているものはプラットフォーマーに吸収されていくし、そのユーザフレンドリーさから導入コンサル的な立ち位置の人間もどんどん意味をなくなっていくように感じられる。
一方、既存の製造業やサービス業は、別にOpenAIに投資しなくてもChatGPTは使えるし、すべてプログラミングコストが0になった結果システム開発費用がほぼ0になり、それらのコスト削減を喜ぶだけなのかというとそう単純でもない。
むしろプログラミングコストが0になった結果、様々な業態が今まで以上にas a Service化がディスラプト(変革)されていくだろう。逆に既存の事業会社は、ディスラプトする側に回ることを考えないといけない。
例えば、プロフェッショナル業務(医者・弁護士・コンサルタントなど)の多くはAIのほうが正確かつ高品質なサービスが得られる様になる日も来るだろうし、それ以外の”商売”とよばれる産業も結局はモノやサービスと人や企業とのマッチングとするならば多くはAIによってディスラプトされていくだろう。
結論めいたもの:AGI(汎用人工知能)を人的資本・知的資本にしていく。
そういった中で、ここからAGI(汎用人工知能)やシンギュラリティといったような、ある種の夢物語で予測不可能な面も多いが、プログラミングという仕事がなくなった社会において事業会社が何をするべきかを、既存の資本の観点から考えてみる。
企業の資本と呼ばれるものは、財務資本、製造資本/技術資本、知的資本、人的資本、社会・関係資本などに大別されており、プログラミングがなくなった世界においては技術資本が大きく形を変える。
プログラミングというものがなくなった社会においては、(プログラムという形の)技術資本はなくなり、その結果
1.知的資本・人的資本をAGIによって増強する
2.それ以外の資本を増強する
という考え方が重要になる。
1.は面白くて、現代におけるサービス業の多くは「(財務資本をベースとしながらも)人間や知的資本等を強みとする企業」であり、この「人間」が「AGI(汎用人工知能)」に変わる世界を考えると、
人間に対する研修制度や福利厚生のように、AGIに対して自社独自の研修制度や福利厚生を与えて、自社の強味をAGIとしていくことが必要になるのかもしれない。そのためにも、現在ある業務をデータに落とし込んでAGIに引き継ぐをできるようにするのが今ある事業会社の生存戦略なのかもしれない。
一方で、これはあくまで「AGIは人間が同等かそれ以下という」世界において成り立つだけで、AGIが人間を超えた世界線においてはどのようなことが必要になるのかは僕にはまだわからない。
あとがき
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?