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人類最後の謎ギョべクリ・テペ

 2019年ももうすぐ終わりますが、今年がギョベクリ・テペの年だったのをご存知でしょうか。トルコのエルドアン大統領が「2019年はギョベクリ・テペの年になる」と宣言し、毎月のようにギョベクリ・テペについての新しいニュースが流れていました。ギョべクリ・テペはいま世界中から熱視線が注がれ、ジャン=ジャック・ルソー以来最大の人類の歴史のパラダイム・シフトと目されているのです。

ある考古学者の夢

 今から20年以上前の1994年。ドイツの考古学者クラウス・シュミットはトルコ南部のアナトリア地方で先史時代の遺跡について調査していました。過去の資料を眺めていると、1960年代にシカゴ大学の研究班が中世の墓地だと判断してすぐに放棄した場所が近くにあることが分かります。彼はさほど期待せずそこに行ってみることにしました。

 周囲の荒涼とした台地とは異なり、そこは高さ15mほどのなだからな傾斜地になっており、ゴツゴツとした岩がいくつか並んでいました。先史時代を専門としているシュミットの目にはすぐ分かりました。この石灰岩の塊は中世の墓地などではない、旧石器時代の巨大な遺跡に違いないと。そこはギョベクリ・テペ、トルコ語で「膨れたお腹のような丘」と呼ばれていました。

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 1年後、ドイツの仲間とトルコに戻ったシュミットは本格的な発掘を開始します。すると円形に並んだ巨大なT字形の石柱が次々と発見されます。さらに地磁気調査によると直径8mから30mの円形に並んだ石柱があと20箇所以上も存在することが分かりました。石柱は大きなもので高さ5m、推定重量10~20tにも達する巨大なもの。広大な建築物が丘の下に眠っていた、いや、丘自体が建築物だったのです。

 そして驚くべきことに放射性炭素年代測定法による調査の結果、ギョベクリ・テペは1万1000年~1万2000年前に作られたことが証明されました。これはエジプトの大ピラミッドより7000年、ストーンヘンジより5000年以上も古いことになります。筆記や車輪の発明どころか農耕革命よりもさらに前、途方も無い古さです。

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 発掘調査のリーダーとなったシュミットは現場近くに家を購入しトルコ人考古学者の女性と結婚して一生をギョベクリ・テペに捧げました。彼は「我々の技術より未来の学者のほうがこの遺跡の価値をより正確に把握できるはずだ」との信念から、ほとんどをあえて手付かずのままにして丹念に調査を進めていきました。彼は次世代の考古学者にすべてを託し、全貌を知ることなく2014年に亡くなります。

 ギョベクリ・テペは2018年に世界遺産に登録され、シュミットの遺志を継いで大規模な国際チームにより精力的な発掘調査が続けられていますが、あまりに広大でまだ全体の5%も明らかになっておらず、すべて終わるには22世紀までかかるのではないかと言われています。

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ギョベクリ・テペの謎

 ギョベクリ・テペはさまざまな謎に満ちあふれています。奇妙なことにギョベクリ・テペの周辺には水場がなく、栽培植物や牧畜の痕跡も一切見つからず、人が定住していたことを示すものは何もありません。一方で石の加工に使ったと思われる大量の石器は見つかっています。このことからギョベクリ・テペは村や都市といった居住空間ではなく何らかの宗教的意味を持つ祭礼施設であると結論づけられています。

 ここで人類史の流れを振り返ってみましょう。今までの定説では「農耕の発生→定住の発生→食糧の蓄積→階級の発生→宗教の誕生」と進んできたとされています。人類は狩猟採集から農耕に移行することで多くの人口を養えるようになり、集住都市が形成され、同時に食糧を貯蔵できるようになったことで分業と階級が発生し、共同体を維持する権威づけとして宗教が発生。宗教指導者は蓄えた富を使って宗教施設を建造し、人民は労働のかわりに食糧を得ます。このようにして1万年ほど前に農耕革命が起こり、都市と宗教が発展してきたとされていました。

 ところがギョベクリ・テペの存在はこの説を根本からひっくり返すものです。定住が発生する前に宗教施設が建造されていたことになるからです。ここでいう宗教とは超自然的な原始宗教ではなく組織宗教のことです。1万2000年前に存在した巨大な宗教施設から全く逆の結論が導かれます。すなわち、最初に宗教があり、階級が発生し、宗教施設を建造するためには多くの人手が必要であり、それを養うために食糧がより多く必要になり、農耕・定住の必要性が増大し、農耕革命が起こった……ということです。

 2つ目の謎は動物との関わりです。ギョベクリ・テペの石柱にはライオン、ヘビ、イノシシ、サソリ、ハゲワシといったさまざまな動物の絵が残されています。その姿は可愛らしくデフォルメされたものもあれば驚くほど写実的なものもあります。

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 またギョベクリ・テペの周辺では鹿、ガゼル、ブタ、ガチョウなどの骨が大量に発掘されていますが、いずれも野生種で人為的に解体・調理された痕跡があります。食用として狩られた動物の骨を集めて埋葬していた可能性があるわけです。そして不思議なことにレリーフには狩りの様子や傷を負った動物はまったく描かれず、ライオンやサソリといった人間の恐怖をかき立てる動物が多くあります。

 このことから1つの仮説が成り立ちます。組織宗教は人間の共同体や階級の中から生まれたのではなく、人間がある瞬間に人間と動物との大いなる境界を意識し、そのときに誕生したのではないかということです。ただ文字は当然まだ存在しておらず、これらの動物が何を目的として彫られたのか、このレリーフの意味を「解読」することはできていません。

ギョベクリ・テペと未来

 現在森美術館で開催中の「未来と芸術展」。AI、バイオ、ロボット、拡張現実、都市工学をテーマに100組以上のアーティストが出品しており何時間いても飽きない大規模な展覧会ですが、その最後を飾る作品が「データ・モノリス」です。トルコのアーティスト集団ouchhhによるインスタレーションで、真っ暗な部屋に高さ5mの巨大な直方体がそびえ立ち、その4面には高精細のデジタル映像が映し出されています。

 会場では1分以内であれば動画撮影OKです。常に流動的に変化するのでなかなか撮影するタイミングが難しい。

 このイメージはギョベクリ・テペの構造体に刻まれた動物の図像や紋様の情報をAIで解析し、抽象的な映像に変換しているものです。AIが何をどう解析し、映し出された映像が何を意味しているのかは誰にも分かりません。モノリスといえば『2001年宇宙の旅』で人類の運命を決定づける物体として登場しましたが、かつて人類が太古のモノリスに刻んだ図像の意味、そしてAIが現代の石柱であるデータ・モノリスに投射する映像の意味もいつか分かる日が来るのでしょうか。

 この展覧会を最後に館長職を退く森美術館の南條史生館長はこう述べています。「この展覧会の最後にはデータ・モノリスという作品を置きました。人類が手にしているデータは宇宙に浮遊する全情報の中でほんのわずかなものです。人類は遥か太古の遺跡から取得したデータの海に漂う一艘の小舟のようなものなのです」と。すべての謎が解き明かされるのは何十年後、何百年後になるか分かりませんが、ギョベクリ・テペが存在し続けた1万2000年という時間からすればちっぽけなことです。

未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命―人は明日どう生きるのか
会期:2019年11月19日~2020年3月29日
会場:森美術館
開館時間 10:00~22:00
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/future_art/index.html

追記

Ancient site in Mardin may be older than Göbeklitepe

 この記事を書いている途中の2019年12月21日に「ギョベクリ・テペよりさらに古い遺跡が見つかった」というニュースが入ってきました。ギョベクリ・テペの東側300kmにあるBoncuklu Tarlaで、1万2000年以上前の宗教施設とみられる建造物が見つかったとのことです。ここは2012年に発掘が始まった歴史の浅い地区なので今後も驚くべき発見が出てくるかもしれません。

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