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集まりと再現性──Tohjiくんに触発されて

ポコラヂについて


ポコラヂは「Red Bull Studios Tokyo」を拠点に、2015年末から始めたインターネットラジオ。レギュラーメンバーはマルチネのtomad、トラックメーカー/DJのMiii、レトリカの松本と僕。その後フォトグラファーのJun Yokoyama(ジュンさん)が合流し、毎回ゲストを呼びつつ月イチで放送している。途中から放送スペースをジュンさんと僕で運営する「リアルハウス」に移し、さらに手作り感を増しつつお届け中。

ポコラヂそのものの歴史や内容などは、去年UNCANNYさんに取材していただいたインタビュー記事を参照してもらえれば。


前回(1月)は年明けということもあり、「ポコラヂ新年会」と銘打っていつもより多めに人を呼んだ。10人くらいはいただろうか。若手アーティストのTohjiくんと、仲間のYujiくん、ハルヒちゃん、steiさんが来てくれていた。彼らには放送にも出てもらい、色々といい話ができた。今回は放送での話や、その後に考えた内容を記事にしてみたい。

ポコラヂレギュラーメンバー
Tomad - Maltine Recordsというインターネットレーベルをやっている。
Jun Yokyama - ロンドンの大学院で授業が同じだったフォトグラファー。リアルハウスに住んでいる。
Tomoya Matsumoto - 高校大学の同級生。Rhetoricaを中心にライター業。
Miii - DJ/トラックメーカー。今回は風邪でお休み。
ポコラヂ新年会に来てくれた人たち
Tohji - 「ヒップホップ」の枠に収まらないアーティスト。
Yuji - Tohjiくんを含む数組のアーティスト・マネージメントをしているナイスガイ。
Stei - 自分で曲も作りつつ、Mall Boyzやdosingとしても活躍するアーティスト。ちょうど昨日新しいEP「Elon Musk Type Beat」をリリース。
ハルヒ - Zineなどを作っているアーティスト。Tohjiくんのシェアハウスの隣に住んでる。
Sinta - グライム・ユニットDouble Clapperzの1人。ほぼ毎回いる準レギュラー。
Towa Takaya - 大学時代から親しいアーティスト。
Kaito Nagano - kontakt「PARTNERS」の編集などをしている。
さのかずや - バイタリティの高すぎる北海道の人。この日も羽田からポコラヂに直行。
Connor Gilhooly - 3年くらい前に仕事で一緒になって以来仲のよいイギリス人ビデオ・ディレクター。
Kouichi Noguchi - FNMNLのインターン。よく顔を出してくれる。

Tohjiくんとの出会い

Tohjiくんとはもともと、昨年にStone Islandの旗艦店のオープニングパーティーで、Double Clapperzのシンタに紹介してもらって知り合った。その時は、喋りはざっくりしてるけど、しっかりとした内省がある明晰な人だなーぐらいに思っていたが、その日の夜にYoutubeでTohjiくんがラップをしつつVideo Directiorも務める「I'm a godzilla duh」を観て衝撃を受けた。本当に変な意味ではなく「次世代のクリエイターだな」と感じた。5つほど離れた年下として接したから落ち着いてられるが、もし彼とタメだったら本当に天才だと思って慕っていたと思う。

下の世代との関わりが少なく、いま大学生くらいのアーティストやクリエイターとそれほど話す機会がなかなか無い自分にとって、Tohjiくんのように最前線で力強く活動するアーティストは貴重な存在だ。高校、大学と身近な幼馴染がバンドでメジャーデビューしたりする中、学生時代をクリエイティブなことに使えなかった自分としては、彼らのように学生時代の余裕ある時間をしっかりアウトプットに使えているのを見ていると羨ましく思うと同時に、本当に豊かだなと思う。

野生の催し

今回のポコラヂで、Tohjiくんたちが自分たちのやり方について語るのを聞いていて、誰かの誕生日会を企画するのがうまい友達を思い出した。良い誕生日会はやる側と見る側の区別が曖昧だったり、仲間内で笑えるネタをうまく使ったりと、場に様々なインタラクションがある。Tohjiくんの良さもそれに近くて、ステージとオーディエンスをはっきりと分けるような「ショーマンシップ」を超え、「ファン」を自分たちの文脈に組み込んでしまうところがある。不特定多数の人に向けて自分のことを発表するのではなく、その場で出会うファンとどうやったら面白くインタラクションできるかということを彼は常に考えているようだった。先日のバチカで行われたショーケースでの異常な熱気は、そんな彼らのスタンスの正しさを示していたように思う。

彼のスタイルはいわば野生の催しであり、決してすでにあるやり方を模倣しない。Tohjiくんのカリスマ性や個人同士の関係の偶然性といったリソースをフル活用して、単に目の前の現実をどれだけ遊べるかということだけがある。だからこそ、その方法に再現性はなく、そのことが彼らの独自性を強烈に示している。フロアの熱気にあてられつつ、そんな風に感じていた。

しかし同時に、彼らのアティテュードや思想は自閉することなくどこまでも伝播する。彼らのつくる場は、しっかりと外部との接点を持っている。「東南アジアの新しいコミュニティのほとんどが、教育や公共性というファンクションを持っている」ということを『Rhetorica04』の自分の原稿で書いたのを思い出した。それはいま流行りの、自分たちのなかで効率よく経済を回し、最大限のクリエイティブコントロールを守ろうとする、閉じられたクリエイティブ・クルーとは決定的に異なっている。Tohjiくんたちを「クルー」や「コレクティブ」と表現すると、そこに実現している良さは零れ落ちてしまう。

自然にヒップホップになる

Tohjiくんは出会ってすぐの頃に、「いまカッコイイことやろうとしたら、自然にヒップホップになると思うんすよね」とよく言っていた。要するに、彼はいわゆる「ヒップホップ」のシーンで有名になりたいのではなく、素朴に自分のやりたいことをやった場合にそのメディアが必然的にヒップホップに見えてくるだけ、ということだと思う。

目の前の現実や現在の世界に対して言いたいこと。もしかしたらそれは「なんで音楽で食っていけないんだろう」という素朴な疑問だったり、「好きなやつと面白いことやれないのおかしいじゃん」というシンプルな希望だったりするのかもしれない。しかし彼らのコメントは、素朴ではあるけども、経験不足な学生のたわごととはまったく異なる実質を備えていて、久々に僕の問題意識や目の前のリアリティを改めさせるには十分だった。

放送が終わった後にハルヒちゃんがベランダでタバコを吸いながらぽつんと言った「社会に出たいんじゃなくて、世界に出たいんだよな〜」という言葉が強く印象に残っている。

僕らは狭く小さく動きにくい社会に出るために大人になったんじゃなく、広く走り回れる世界に出たいはずだった。

集まりと再現性

ポコラヂというコミュニティ的なメディアや、それを支えるリアルハウスという空間は、僕のコミュニティについての考え方を反映した場だ。そんなポコラヂにTohjiくんたちが突発的に遊びに来てくれて、彼らの集団やコミュニティについて語ってくれたことは、僕にとってとても強い意味を持っていた。

友人と続けているメディア・プロジェクトRhetoricaにしろ、自分の周りで成立している集団にしろ、集まりとしては再現性がないなと常々感じていた。

そこにあるのは、未来に起こりうるイレギュラーを受け入れるセーフティネットのような許容性と、属する人間がそれぞれ目の前の現実と向き合った結果として隣の人間にインスピレーションを与えるという機能だけで、何か外的な枠組みや約束があるわけではない。それは非常に属人的だし、関係も偶然的で、主観的な行為が紐づいている。そこにはビジネスモデルや数式で説明されるような再現性はない。

そこにあるのは、今を楽しむ態度や、現実に対するアティテュードといいった、絶対に譲れない共通した価値観だけだ。共有されるバイブスと機運。

steiさんがこの放送の次の日に、ラッパーのショートインタビュー動画を毎晩更新するYouTubeチャンネル「ニートTOKYO」に出演しTohjiくんやMall Boyzというクルーについて語っていた。

「バックDJをやってる感覚はなくて一緒にフィールドを作ってる」「リアルな関係があるやつと一緒に何かをやりたいと思ってる」「イイやつの集まり」「目標とかゴールとか未来とかみたいな、ちょっと痒くなるものを掲げて人を集めるんじゃなくて、いまここにある面白いこととか、いまここで俺らが楽しいと思ってること、そのまま好きなことを好きなままやる」「感情の発散、情熱の爆発」「そういうのがあるやつらの集団」

1月末にレトリカの刊行記念で行ったイベントでも、コミュニティのメンテナンスが非常に重要であるという議論がなされたが(これについてはまた別の記事を書こうと思う)、コミュニティ内でのバイブスの共有が、いかに創造性にサステナビリティをもたらすかについては、僕らの新刊である『Rhetorica04』のテーマ「棲家」に繋がる問題意識のように感じる。

私たちはいま、集まって時間を過ごすことが難しくなっています。あるいは、集まって過ごせる人と過ごせない人の分断が大きくなっています。ゆっくりとした時間や思考、空想は今や贅沢なものになってしまっています。私たちが考えなければならないのは、家族ができたり、物理的に遠いところに行ったり、身体を壊したりしても、それでも一緒にやっていくための条件や方法です。私たちは今、人に、都市に、文化に、どんな期待を持つことができるのでしょうか。〝現実的な〟一般論では届かない問いに向かえることが、文化のもつ大きな価値だと、私たちは考えています。

棲家、それは同じバイブスを持った人間に開かれているが、再現性のない集団のことなのかもしれない。

続けるためのインフラやツール|リアハ、G+

制作を通じて隣にいる人間にインスピレーションを与えたり、影響を受けたりし続けるためには、物理的なものでもヴァーチャルなものでもいいから「場」が必要だ。僕の所属するRhetoricaというチームで言えば、Google+上のクローズドグループにストックされたタイムラインがそれにあたり、ポコラヂに来てくれる友人たちにとってはリアルハウスという空間がそうした場になる。

それは、カフェや公的なSNS空間といった、自分たちの外部に置かれた場所とは異なる。自分たちの色や跡をその場所に残し続けることで、独自の文化や文脈が生まれはまた消えていく。そうした「場」は、人間関係をプロジェクトとして扱うのではなく、暮らしや人生の中に組み込まれたものとして捉えさせてくれる。

隣の人と直接プロジェクト的なやりとりがなくても、お互いにインスピレーションを与え合えるような場所。そこに生じる空気の新しい振動を、僕らは音楽を聞くときのように感じ取る。同じバイブスを共有できる友人は、見つけに行かなくても音が鳴る場所に集まってくる。

Tohjiくんたちは、何を聞いても「この前話したけどさ〜」と前置きして話し始めていた。彼らはたぶん、いつも話しているのだ。僕らが物理的に離れていても延々とG+で独白と交流を続けているように。無限に続く対話と探求を支えるのは、あらゆる意味での余裕と暇だ。

この日、Tohjiくんたちは、tomadと話してアジア圏のコネクションを作り、新しいプロジェクトを自然に発生させていた。何かを一緒にやるというのは交流の結果であり、計画の結果ではない。いい場所に集まり、そこで生じたコミュニケーションが必然的に形になったものがアウトプットなのだと感じた。

共鳴し合うアティテュードやバイブスに後押しされ、我慢できずに生み出されてしまった音楽やプロジェクト。そういうものがこのツルツルな世界を多少なり豊かなものに変えてくれる。そう改めて認識することができた。


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creative producer at CANTEEN
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