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三河宇宙造船所 宇宙への軌跡 第17回「100 →」

1965年8月19日 木曜 午後
「高度110 111 112 113 114 115」 乃秋は高度計の目盛りを読み上げる。三河宇宙造船は当面の目標であった高度100km上空に達し、そしてその先へ。
「115 115! 115880m 115880m!」と乃秋のヘルメットの中の籠った声をマイクレシーバーが拾う。
ー トラッキグステーション 通称「大きな目玉」 -
「やりました」と、ジーン・カーマン。
「ああ、やったな」と、宗弐郎。
大きな目玉の中は管制官たちの歓喜の声とメインモニターの軌道予想図を眺める宗弐郎。
その感情の爆発の中、独りロケットから送られてきたデータを示す机上のモニターを眺め続ける男が居た。
「乃秋?」
「やったわ!」
「乃秋。少し確認したいんだが」とフォン博士。
「え、何? 誰?」
「フォンだ・フォン・カーマン」
「やったわ!博士! 115キロよ!」と興奮した乃秋の声。
「ああ、遂に」
「やったわ!」と乃秋。
「乃秋。その前に、確認したいんだが、データを見るとハッチが空いた信号が出ていたが」とフォン博士。
「やったわ!」と乃秋。
「やったって。外に出たのか?」
「やったわ!」

1965年8月20日 金曜
ー 社長室 通称「社長室」 -
翌日、向井乃秋は伝説に成った。日本人初の女性宇宙飛行士。そして日本人初の船外活動を行った人間として。
「コズミック 女 サーファー 向井乃秋」
新聞の一面。海外から彼女の偉業を称える装飾された形容の言葉で綴られたその見出しを読む宗弐郎。
「地球は本当に丸い。宇宙から見える世界は東京も、日本も。世界はとても美しかった」と向井乃秋のコメントが書かれている。
「良く判らんもんだ、飛ぶ前には緊張し小さく見えた子供のような女性が、一度上がってしまえば此方の想像以上に大胆な行動に」と、宗弐郎は言葉を漏らし、国立豊橋病院にて宇宙放射線等、宇宙空間での人体への影響調査も兼ね検査中の向井乃秋の行動力へ驚きと、その結果、自分の理解を越えた宇宙飛行士へ諦めのような感情思考が止まる系譜、度が過ぎた尊敬の念を抱き、新聞記事を読む。
「コン コン」 ノックは二回。
「宗弐郎、依頼が凄いことになっている」と、ジーン・カーマンが依頼通達の束になった紙と社長室で流れているテレビ画面に映った本社映像へ目配せを送り、その束を社長室、机に「ドスッ」とその質量を示す音を立て、置く。
目標へ達し、その結果。そしてその結果が生み出す更なる過程と、これからが机の上に詰まれる。
「我々のロケットはどこまで飛べる?」
「まだ余力があります。今回は依頼主の二社、調査結果のための飛行でしたが、フォン博士は『高度を目指すなら200kmは超えるはずだ』と」ジーン・カーマン。
「判った。まずはそのお客さんの中から実施可能な依頼と飛行実績を。その次は」と宗弐郎は言い、握った湯飲みを机に「ゴトッ」と音を立てて置く。
「100kmの奥だ。200kmが可能なら250km。博士と飛行士たちに伝えろ。計画は秋頃。詳細は君にまかせる。カーマン君」と宗弐郎。


1965年10月11日月曜
ー 航空機格納庫 通称「鳥たちの巣」 -
あのジーン・カーマンが「今回は依頼先の目標を無理に達成する必要は無い。我々の最大目標は更に高い高度だ」と発言したことに、ジェバダイアと乃秋は目玉を大きくし驚いた。
問題を抱えた機体に搭乗させられるのかと疑ったが「5.1で飛ぶ」とジーン・カーマン。宇宙へ達した人間は人生観が変わると言われるが、彼は空へは上がっていない。何か宗教にでも目覚めたのかと疑う二名の宇宙飛行士。
「打ち上げは25日。今回も乃秋、君に飛んで欲しい」とジーン・カーマン。



1965年10月24日 日曜
地上ではまた別の挑戦が結果を出していた。
■F-1 メキシコGP ホンダが初めての勝利を迎えた
https://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1965/01/


1965年10月25日 月曜
三河5.1号
https://www.youtube.com/watch?v=_4XAxlHw4QM

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写真:凄く丸いです

次回予告『例の巨体』

バイクを買うぞ!