見出し画像

三河宇宙造船 宇宙への軌跡 第1回「死亡遊戯 Step by Step」

株式会社三河宇宙造船 トップメッセージ
弊社、三河宇宙造船は1961年激動の時代の中、豊田宗弐郎により宇宙開発事業を目指し創業いたしました。
ものづくりの街、ここ愛知県内にて培ってきた豊かな工業技術、また、他企業様とのパートナーシップを結び、様々なご縁の協力を得て宇宙開発・生産の技術を人類の発展、布いて社会貢献を目指し、東西の冷戦、飛び交う弾道技術。楕円運動のようにうねり、成長してまいりました。
この重力に引きずられる激動の時代人類の将来に向け、新しい価値観と世界を見出す創造企業としての宇宙脱出速度を目指します。

代表取締役 豊田三郎


弊社、三河宇宙造船、宇宙への挑戦の軌跡をこの度Webを通し、お客様、そして世界へ向け発信をさせて頂きます。
愛知県渥美半島という自然豊かな地から宇宙へ進出するというなかで、幾つもの試練がありましたが「人類の未来」という創業者、そして従業員一同の目標が我々を空へ向け動かしました。どうぞ弊社「宇宙」への軌跡をご覧ください。

打ち上げ事業部部長 日高昇


第一回「死亡遊戯 Step by Step
1962年米ソ宇宙開発に触発を受けた豊田宗弐郎の「私たちも宇宙へ行く」との声により、三河宇宙造船初の有人型ロケット「三河1号」打ち上げ実験が行われた。

1)渥美半島宇宙センター全体像

画像1

写真:どう見ても渥美半島である

宇宙センターフライトディレクター:ジーン・カーマン。
*写真現像時に問題があり、緑気味に見えるがご了承していただきたい。
渥美半島という愛知県内南側にある半島は打ち上げ場としては最良ではないが、南東に太平洋が広がり、県内の協力企業様とのアクセスも良く、打ち上げ場としてはまずまずの立地。
「夜に打ち上げんな。寝れるか。時間帯考えろ」と近隣の住民の皆様からは熱いファンレター(訴訟問題)を幾つも頂いており、地域にフレンドリーな企業として認知して頂いております。

万全な開発環境ではありませんが、やれることをその場で出来ることを行うだけであります。

2)ロケット組立棟

画像2

写真:渥美半島の宇宙センター以外に何に見えるの?

画像3

写真:渥美半島の宇宙センターロケット組立棟内

ロケット開発チーフエンジニア ヴェルナー・フォン・カーマン。
ドイツ自動車会社の開発エンジニアを得て弊社にて幽閉。
あ、間違えた。採用。
以降我が社への献身的開発者として貢献してくれている。
このロケット組立棟では創業者でも彼の言うことには逆らえない。
「俺がロケットだ」 ビールを5杯飲ませると言い始めるが、ドイツ語なので初めての人は何を言っているかは理解できない。

3)ロケット「三河1号」

画像4

記念すべき弊社初のロケット。
「愁いを秘めた美しい機体は我々の誇りです」と、ロケット開発チーフエンジニア ヴェルナー・フォン・カーマン。
私はちんちくりんで武骨な「えんぴつキャップみたいだな」が完成後のお披露目式で漏らした素直な感想。
「これ飛ぶの?」とも漏らした。

それが飛んだんです。

第一回「死亡遊戯 Step by Step」


oh...

次回予告『空へ』


1958年マーキュリー計画 アメリカ


1961年ボストーク1号 ソ連



バイクを買うぞ!