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三河宇宙造船所 宇宙への軌跡 第12回「大きすぎて窮屈」

「お、やっとるやっとる」と、ジェバダイア飛行士は退避壕から眺めていた。

そして、進んだ時間をここで戻す。

1964年11月8日 日曜 午後2時
三河4.1号
https://www.youtube.com/watch?v=gWyt6mO8JqA

1964年11月9日 月曜 午後2時
ー ロケット棟 反重量 -
打ち上げ、ロッコー社からのLV-T45 スゥイーベル液体燃料エンジン、飛行中のテスト依頼。
これを無事達成したジェバダイア飛行士はソ連邦ハバロフスク地方から本社へ電話連絡をし、飛行及び実験を成功させた知らせを伝える。明日ハバロフスク空港、韓国を経由し帰国する予定とのこと。
「判った。次も控えている。戻ってくるのを待っている」とフォン博士はそう言うと電話を切り、ロケット棟の将来を見ていた。
BACC サンパー 固体燃料ブースター 導入により一基で途端に手狭と成るであろうこの狐の巣。拡大と将来を見越した新ロケット棟の建設概要図を眺めながら彼は受話器から手を離した。

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写真:ロケット棟。ここで数々のロケットが産まれた。解体と誕生が幾度も繰り返されたのであった。

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写真:新ロケット棟完成予想図

「来年には出来る」とジーン・カーマン。
完成予想図を見ているフォン博士へそう声をかけた。
「来年の何時だよ?」とフォン博士。

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写真:ロケット棟内部。BACCを二つ組み合わせ計画を立てたが、「一つでも限界に近いのに二つは幼児でも判りますよね?」と現場作業員からの皮肉めいた報告書を受け取った。「うるせえな」と思ったフォン博士。

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写真:新ロケット棟 内部 完成予想図 余裕を持たせた設計。これでもっと大きなロケットを造れるぞ。

「夏頃。らしい」とジーン・カーマン。
「えぇぇぇ・・・。そんなかかるの?」とフォン博士。


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写真:打ち上げ場。シンプルに平らで全てを表現した芸術的打ち上げ場。殺風景に不安を感じたのか、旗が添えられている。ここから幾つものロケットが空に上がり、そして失敗の数々と幾ばくかの成功。それと稀に空から降って来たロケットで渥美半島の地形を気持ち、少し、変えちゃったりもしたね。その後はトマトの消費が伸びる。

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写真:新打ち上げ場 予想図 わーお! すげえ!未来的じゃん。ただの黒焦げた平から立体的に。情報量が一挙に増大するが、今回も旗を建てちゃうようです。

「いやいや、十分早いよ。早すぎるほど」とジーン・カーマン。
「もっと早く出来ないの?」とフォン博士。
「無理。オリンピックに関わる建設を終えて丁度手空きになっていた日本のゼネコンが空いていたからこの短期間で出来るんだし」とジーン・カーマン。
「へええ。棚ぼたか」とフォン博士。
「いや、宗弐郎が見据えて。RT-10を制御出来た時点で東京と連絡を始めたらしい。人が暮らす塔でもないし。強度と内側の大きさを確保さえできればいいわけで」とジーン・カーマン。
「ふーん」とフォン博士。
「12月中旬から着工開始らしい。その前にBACCを打ち上げ、そこからは君の役目は机上の計算。打ち上げは当分の間は無い」とジーン・カーマン。

1964年12月7日 月曜 午後1時30分
三河5号
https://www.youtube.com/watch?v=dw--K_xhiL4

1964年12月7日 金曜 午前
始業と共に引っ越し作業が行われる。本社事務本館に一時ロケット打ち上げ屋は引っ越し。会議机などの場を一時彼らの居場所に。ネクタイ、Yシャツの中、作業着姿の職員も同居するという現場と現場が組み合わさる日本においては珍しい不思議な光景であった。

三河宇宙造船所 宇宙への軌跡 第12回「大きすぎて窮屈」
https://www.youtube.com/watch?v=9mljANrrUDg

次回予告『飛翔への欲求』

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