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#ていねいな暮らし がしたくて |02

朝の白湯は身体に染みわたるとってもいい栄養です。

白湯の作り方:
お水をやかんに入れて沸騰させる
沸騰後は蓋を開けて換気扇をつけて10分フツフツとさせる
熱いけどすすりながら飲む

アーユルヴェーダの考え方で風(ヴァータ)を含むことで白湯のコクと旨味が増すみたいで。


「悩みなさそうだよね」

てよく言われる。今でもいまだに言われたりする。悩みない人なんていないだろ。最近わかったけど、「あんま悩まないかも」っていう人は悩みの消化速度が尋常じゃないか、人の話を右から左へ受け流しが上手な人。あと私生活が忙しすぎて(子育て中だったり)悩む時間もない人。
羨ましい〜

建築設計の仕事をし始めてもう6年になるのですが、「建築家」という肩書きに私もなるんだとは思うけどアカデミックで社会的な領域に有名な建築家さんたちは居続けたいという気持ちがある一方で私は疑問を抱いていたんだと思う。

建築の分野はとても広い世界だし、数年勉強したり実務こなしただけじゃ全てを理解するなんてとてもじゃないけどできない。だからこそ楽しいし、何より社会に出てから想像していたより、自分が図面に描いた線が、素材が計画が形となって、建物となって、作品となって建設されていくことがわかった。それが本当に嬉しいし、やめられない職業だなって思う。「衣食住」というくらいだから歴史もとても古くて、いろんなgrandes architectsが様々な作品を残しながらそして社会情勢や時代背景に常に寄り添ってきたのも建築の特徴。
建物は人間がその中で暮らしたり働いていく以上、災害にも強くないといけないし、構造強度が弱くて壊れて人に影響を与えることがあってもいけない。最近よく思うけど、グラフィックとかプロダクト、フラワーデザインなどとの圧倒的な違いは、同じデザイン業界でもこんなかっこいいものを作りたいけど、人がそこを歩いたりするとなると、この厚みじゃ持たないよねとかいうことが起きるからある程度実現可能な寸法というのが決まってくる。
そう言ったことを「普通」と呼ぶのだとしたら建築設計で働き出したら最初に学ばないといけないのだとは思う。なかなか大学ではデザインや思想先行で教えてもらえなかったりね。

そして建築設計はあくまで接客業であり、お客さんがこの建物建てたい!という要望があって初めて私たちが動ける。私の場合、2000人規模の設計者がいる設計事務所にいるので隈研吾とか田根剛みたいにネームバリューを求めてデザインを依頼する施主より「ある程度のデザイン」を求めて、使い勝手の良い建築を求められることの方が多い。

それはわかってるんだけどね。20代の私はその中で自分の個性をちょっとでも出せたら、あるいは少しでもデザインに関わりたい!と奮闘してしまうんですね。たぶん若手建築設計者あるある。
そして残業して、夢の中にまで出てきて、ガムシャラになって提示したのにそれを施主の提示する予算や上司との意見の違いなどで、道で犬のうんこ踏ん付けるみたいに一瞬でグチャって、べちゃって潰されることもよくある。踏んで嫌な顔されたり。あるある。うんこなのかよ。笑

当時2年目の私はそうやってうんこべチャッを何回も、何回もグチャってされて、挙げ句の果てに「普通」をやれ。と説教されるようになった。社会人の常識みたいな「普通」とデザインの「普通」はまた全然違うものだと私は思っていて、デザインの「普通」って誰にとっての「普通」なの??って何度も考えさせられた。


備忘録 02

2021.06.03.    kiki

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