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『重力の光』AFTER TALK LAST 10 DAYS:9/27(火)レポート👁✨

ゲスト:
🔶平岩壮吾 (編集者)
🔶eri (DEPT Company代表)
🔶八木咲 (本作撮影・写真家)

☑️eri
「おんなじいのち(劇中にも登場する抱樸のスローガン)」という言葉にも現れてるけど、 みんなが同じ目線で話したり、通じ合えたり、分かり合えたり、理解しようと努めたりということを意識して生きていく必要があるなと思ったし、そのことを抱樸や東八幡教会、そして「重力の光」でリマインドしてもらった感じがしました。
抱樸には一度行かせてもらったことがあって。バックグラウンドが壮絶な人が多いけど、「あなたはそういう過去があるから」「私は教会を運営してるほうだから」という立場の垣根が全然なくて、 世の中って本来こうあるべきなんだよなと思いました。認め合うっていう言葉すらなくていいというか、もっと手前にある、相手と自分の垣根をより低くして接する温度感みたいなものがあって、それが自分を変えてくれた気がしました。

☑️平岩壮吾
確かに今エリさんがおっしゃったようなことを僕は映画を見て思いました。フラットと言うと雑な言葉かもしれないですけど、牧師の奥田知志さんとそこに集う人たちの関係でもありますし…奥田さんの言葉ですごく印象的なのが、「ホームレスとハウスレスは違う」ということ。ホームレスが社会的孤独でハウスレスが経済的貧困と使い分けてるんですけど、奥田さんは教会でも抱樸でもホームレス状態、孤立するような人たちのホーム=居場所をつくるという活動をされている。セーフティネットと言えると思うんですけど、本来は国がやらなきゃいけないことをこんなふうにやってる人がいるんだというのに驚きました。社会に必要だし、足りないもの。

☑️eri
奥田さんの活動って多岐に渡るし言葉で説明するのが難しいと思うのだけど、この映画ではあの短さの中で長たらしく説明することもなく、温度とか彼らの動きだったり切り取る場所なんかで抱樸や知志さんの目指しているものがちゃんと受け取れる感じがした。それがこの映画のすごいところだなと思いました。八木さんはなにかその点気をつけたこととかありますか?

☑️八木咲
1番やりたくないことは、傷つけること。自分にとってカメラはお守りのように大切な家族のようなものだけど、カメラを持って誰かを取るっていう行為は、誰かにとっては銃で打たれるような行為になり得る。映画に登場する天使役のカンナちゃんとは映画を撮る半年くらい前から何回も会っていたし、一緒にお散歩したり、夕日が綺麗だなっていう話をしたりそういう関係性は絶対崩したくなくて。自分もあの場所で救われたことがたくさんあって、その自分が「撮る/撮られる」という立場じゃなく、みんなと友達でいたいし、 一緒に遊びたいし、もっと美しい同じ景色を見たいっていう。自分は人と交わるのが怖くて、今まで一人で作品をつくってきたんですが、知志さんの言葉ですごく救われたんです。「あなたはあなた、私は私、個々の人として生きていきましょう。じゃ寂しすぎる。違う考えと記憶と意思を持つ他者だからこそ、繋がりを見つけて一緒に生きよう」と。本当にその通りの人たちしかいないから、そこは一番大切にしました。

☑️平岩壮吾
石原海さんの監督作品は結構昔から見ていて、海さんは僕が知る中でもかなり純度の高いアーティストだと思うんです。気質も、美意識も、作品にも現れてると思うんですけど。芸術ということもすごく考えているし、主にフィクションを撮ってきた監督で、今回の「重力の光」はかなり冒険だったと思うんです。ドキュメンタリーでもありますし、自分の思い描く通りに作り込むわけでない。ということをしているわけですが、それがこんなふうにも撮れるのかとびっくりしたんですよね。ドキュメンタリーのあり方って色々あると思うけど、元々あるコミュニティに海さんや八木さんが入っていって、共に生活したり時を重ねて撮ったんだなというのが、映されている人にも表れてますよね。パンフに出演者の感想が載っているんですが、「演じることで聖書への理解や考え方が変わった」と。劇でも映画でも、なんらかに関わることはその人に変化をもたらすものだと思うんですが、八木さんはなにか変わったと思いますか?

☑️八木咲
ドキュメンタリーを撮ることの怖さみたいなものは元からわかってたつもりだったけど、今はもっともっと強く思う。 今はみんなが「完成してよかったね」「みんなに見てもらいたいね」と言ってくれて、すごく喜んでくれているけど、10年後に出演者が「作品に出たから死にたくなった」と言ってもおかしくない。それを覚悟で撮っていたけど、 果たしてその覚悟がちゃんと本当にできていたのかと、撮ったあとに思うことがあって。私はこれまで1人で時間を過ごして作品を作ってきたけど、 彼ら彼女らの人生を担うことで逆に「死ねないな」と思ったんですよ。この作品の終わらない旅が始まったなと思って、撮り続けなきゃいけないという。私にとって「未来」ができて、生きる希望みたいなものが芽生えてきたのが自分でもすごく意外なことでした。海ちゃんもそうかもしれないけど、他者を通して生きる希望が見えるっていうのが、自分の中で驚きでした。

☑️eri
抱樸で一人の方にお話を伺う機会があったんです。対個人としてこれまでの人生のお話を聞いてーー務所入って、助けてもらって今ここにいて、キリスト教と出会って、ということを私たちに伝えようとしてくれて、その後、町をパトロールするのにも同行させてもらって。
私、これまで路上生活者の方々を「路上生活者/ホームレス」という言葉の枠の中でしか見てなかったんですよ。個々の人だって認識したことがあまりなかったんです。素通りしてきたんですよね、人生で何度も何度も何度も。でも、当たり前の話なんですけど、そこに命があって、名前があって、人生があって、記憶があって、 辛いことも楽しいことも持ってて、で、何かしらの理由でそこにいるっていう。 なんか、そういうことを私全部無視できてたんだなと思って、それにびっくり…というかがっかりしたんです。でも、対個人として話をしたときに、大きな括りで人を見るのはやめたいと思いました。私もそう見られたくないしね。人間同士であるっていうことを考え直さなきゃいけないなと思いました。

映画の最後、光と闇についてのセリフが入るんですがーー「光は、闇がそこにあったことの証である 」っていう。その言葉がずっと頭でぐるぐる回ってて、つい光ばかり求めたり影ばかり嘆いたりしがちだけど、その両方を同時に見つめてかなきゃいけないんだよなとすごく思って。今何が起こっていて、自分がどう思ってるのかをそのまま両方をきちんと並べて見ていかないと、というのをこの最後の言葉ですごく思いました。私は国葬反対ですが、国葬が行われた今日、その言葉が余計フィットして「嘆かわしい」と思う一方で、同時に光についても考えないといけないと思いました。

☑️平岩壮吾
パンフレットに美学者の今村純子さんが「映画館とはそもそも教会を出自としている 」と書かれているんですが、祈る行為と映画を見る行為が近いというのは本当にその通りだなと思いました。
僕は無神論者なんですが、ここで映されている奥田知志さんの東八幡キリスト教会での「信仰」というものが、諦めないというか「光の中に闇がある」という話とも繋がるんですけど、希望を捨てない感じがすごく僕は共感できて。楽観主義とはまた違うかもしれないんですけど、希望を捨てないということが、自分にもすごく刺さりました。色々騒々しい出来事もあるんですが、タイトルの言葉で言うと「重力はあるんだけど、 明日からもやってきましょう」みたいなことですかね。

『重力の光』AFTER TALK LAST 10 DAYS開催中!!

927(火)2045 _ 平岩壮悟(編集者) eri(DEPT Company代表) 石原海(映画監督) (3)


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