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聴きたい父と食わせたい母

高校を卒業してすぐに、実家を離れた僕にとって、両親の存在というものは年齢を重ねるにつれ大きくなっていくような気がする。

年に一度くらいしか帰省しないし、電話やLINEを頻繁にするわけでもない。逆に仕事中のスマホに親からの着信が残っていたりすると、何事かあったのかとドキドキさせられる。幸い今のところ、本当にドキドキさせられるような案件はなく、たいていは息子の生存確認と、次いつ帰省するかのスケジュール確認の2択である。こちらも35歳になって、それなりに身体の衰えや、仕事のストレスを感じる日々をすごしているが、まさかそんなシリアスなことは言えない。両親を心配させないように、適当にごまかして、スケジュールもなかなか決まらないのでそちらも濁しつつ、電話を切る。

そんな関係をかれこれ16年間も続けてきているが、それでも年に一度の帰省はそれなりに楽しみでもある。控えめに言って、その10000倍くらい両親は息子の帰省を楽しみにしているが。一応実家にも飛んでるWi-Fiと、パソコンもあるが、自宅Wi-Fiのパスワードを、パナソニックに電話で聞こうとする親なので、オンライン帰省など不可能である。

父は今年で70歳(たぶん)。もうとっくの昔に退職して、のんびり暮らしている。趣味はずっと競艇で、僕が子供のころは、父が競艇で勝った日には家族で豪華な外食に行くというステキな風習が存在した。麻雀も好きで、2歳年上の姉が誕生日かクリスマスの日に、ドラえもんのドンジャラ(子供向けの麻雀のようなおもちゃ)を買い与え、僕たち姉弟に英才教育を施そうとしてきたこともあった。また僕がタバコを吸うことに非常に前向き(?)で、帰省の際には僕の好きなタバコを1カートン母に内緒で渡してくれる。きっと父自身、母には禁煙してると言いながら、職場ではスパスパ吸っていて、それが母にバレたときには我が家最大の離婚危機があったので、味方が増えて嬉しいのだろう。

母は今年で75歳(絶対)。僕を生んだのが40歳のときで、いわゆる高齢出産といえるのだろうか。我が家の実権を完全に掌握しており、一家の長たる父を完全に見下しているというのが子供ながらによく理解できた。息子の僕が言うのもなんだが、母は天性のリーダー気質である。ご近所さんや仕事先でも、常に頼りにされていて、物事を仕切るのが上手い。学校の成績もよかったらしい。今も長年勤めている会社へ時々出勤したり(どんな雇用形態なのかマジで謎)、僕が小学校の時に始めたボーイスカウトの隊長補佐的なこと(ただの保護者というポジションを早々に切り上げ、自ら制服を着こみ、先頭に立って手旗信号をしていた そして息子が退団したあとも母は残り続けた)をしたり、結婚前からやっている茶道と、超アグレッシブに生活している。

そんな父と母、そしていつまでも未婚の姉が暮らす家は、僕が中学生になるときに大金持ちの親戚が建ててくれたもので、親戚夫婦の住む家と我が家が、2棟並んでおり、数年前に親戚夫婦は亡くなってからは、この2棟を自由に使っている気楽な家族である。

帰省の時、最寄りの駅まで車で迎えに来るのは父の役割だ。駅の階段を降りてくる息子をいち早く見つけ、話したいことがあってしょうがない、主人の帰宅を待つ柴犬のような顔で迎えに来る。後部座席に荷物を置いて、助手席に座ってドアを閉めると、お決まりの質問が飛んでくる。

「九州は寒くないか?雪は降ったのか?わん!」

父よ、冬は寒い。大体正月過ぎに帰ることが多いので、まずは気象情報から息子との会話を展開させようとしてくる。もう何年もこのパターンから父と息子の久しぶりのコミュニケーションは始まる。

「まあ寒いけど、だいたいこっちと変わらないかなあ。雪もたまに降る程度で」

僕の方も、まるで初めて父に伝えるかのように話しだす。

「そうか、仕事はどうだ、順調か?体調は?無理してないか?ワンワン!」

お決まりの質問のあとはもう父の、これ、息子に聴きたい!があふれ出す。父からしてみれば、息子と二人きりで話ができるタイミングは、帰省中とは言え限られている。家に着けば自分を見下している母が支配している世界が待っているので、ここぞとばかりに質問をしてくる。途中、

「コーヒー飲むか?」

と自販機の前で停車しようとしてくるが、家まで10分かからないくらいの道のりで、缶コーヒー1本は飲み切れない。

「いや、いいやコーヒーは」

僕は冷静にいなす。僕としても、父とのこの時間は嫌いではない。帰省して間もなくで、こちらも話すネタは十分に持っている。やはり仕事の話になるのだが、父を喜ばす話、がっかりさせる話、その両方をバランスよく会話の中に散らしながら、父のリアクションを見るのが好きだ。帰省3日目にもなれば、こちらのネタは尽きて、父との会話もめんどくさくなるのだから、子供とは残酷である。

そして、おそらく父が一番聞きたいのは息子の恋愛事情だと思うが、気を使ってかなかなか直球に質問はしてこない。シャイか。こちらもまさか2年前にフラれた彼女が結婚したのを知って落ち込んだ、などという僕のどどめ色の恋愛事情を話すわけにもいかないので胡麻化すしかない。

実家に到着すると、母が出迎えてくれる。お土産を渡し、祖父母の仏壇に線香を上げてから、さて、特にすることはない。

そう、年に1回の帰省、特に目的があって帰るわけではないので、とりあえず両親に元気そうな顔を見せれば、用件はそれで完了だ。僕は手持ち無沙汰になりながらも、テーブルの上の新聞を開き、パラパラと眺める。なじみのない4コマ漫画を見ては、ずいぶん見知らぬ土地に来たものだなあと感じてしまう。これがサザエさんかコボちゃんあたりなら、すっと受け入れられそうだが、残念ながらそんな超メジャーマンガは今どき新聞で連載などされないらしい。

「コーヒーか、お茶か、ウーロン茶もあるけど?」

母が聞いてくる。とにかく実家にいる間は、食べ物と飲み物、果てはデザートまで、無限に出てくる。普段から両親や姉がこんなに飲み食いし続けてるのかは不明だが、息子のあらゆるリクエストに対応すべく、多くの食材が実家の台所にはスタンバイしている。

「んー、お茶かな」

かな、とか言っているがこれは僕なりの母へのリスペクトを込めている。茶道の先生を僕が生まれる前からやっている母に対して、帰省一発目のウエルカムドリンクは緑茶を選択する。素晴らしい親孝行だ。お茶を飲みながら、

「夕飯はお鍋だけどいい?」

「うん。」

帰省初日の夕飯のメニューは前日LINEでお伺いを立てられる。最初のうちは僕も、寿司やら焼肉やら、自分が本当に食べたいものを所望していたが、少し大人になってくるとこちらも気を使いだす。せっかくなら、いわゆるおふくろの味、となるものをリクエストした方が、母もテンション上がるんじゃないかと考え、コロッケ、ハンバーグ、餃子等、寿司や焼き肉に比べれば、母親も愛情を注ぎやすいメニューをリクエストしてみたりもした。で、鍋!と言うときはだいたい自分が本当に食べたいものと、多少はおふくろ感があるメニューであると解釈しているので、優秀な献立である。

実家の夕飯のタイミングは早い。これは一人暮らしの男が実家に帰って一番感じる違和感ではないか。夕方6時くらいに母は台所に立ち、6時半から7時の間には夕飯タイムが強制的に始まる。普段の僕は、夕飯のタイミングはバラバラで、腹が減ったと感じたら食う、という超本能的食事リズムで生活している。およそ21時~24時、何なら日をまたいでの夕飯なんてザラにある。夕方6,7時、仕事がなければそのタイミングは菓子パンと缶コーヒー、たまにセブンイレブンの唐揚げ棒を食べる時間である。そのあとダラダラして、テレビの見たい番組とのタイミングを合わせて飯を食べに行く、というパターンだ。

普段より早めの夕飯がスタートし、僕は父と軽ーい晩酌をして(僕はあまり酒が飲めない)、母の作った鍋をつつく。母は何年たっても息子の食欲が、毎日家で食べていた高校生のころと変わっていないものと思っているらしく、次から次へと食材を鍋に放り込んでくる。こちらも、両親をガッカリさせたくないのでそれなりの気合で食べまくる。目標は、炊飯器の中のご飯を空にすること、テーブルに並んでいる肉は全て食べきることだ。テーブルに出ていた牛肉をすべて食べ終えると、母は2軍扱いで冷蔵庫にスタンバイしていた豚肉も食わそうとしてくるので、マナーとして3.4枚食べて、僕の夕飯は終わる。息子が食欲を落とさずに元気に食べている、だから体調に問題なし!という無言の健康診断を親子間で繰り広げられている、そんな感じだ。

「りんごかイチゴか、ケーキかアイスもあるけど」

間髪というものが入らない。

母は鍋が終わるや否や、次はデザートを放り込んでくる。さすがにちょっと無理なので、

「もうちょっと後で」

と断りつつも、夕飯を食べ終えた後など、こちらは本当にやることがないし、両親は夜10時くらいには寝てしまう。本当なら、そのくらいの時間になって、

「そろそろリンゴでも剥いてもらおうかな」

とお願いしたいところだが、そうもいかないので結局30分後にはデザートを食べることになる。リンゴなら丸1個分、イチゴなら半パックぐらいのまあまの量である。同時にコーヒーを淹れながら母は、

「アイスはどうする?」

とプレッシャーをかけてくる。いらん。全然いらんけど、これも健康診断の一つの項目となるので

「風呂上がりに食べるわ」

と自らに宿題を出し、いつもより長湯をして、その課題をクリアしておく。

就寝の時間も普段より早くなる。なんせやることが無いのだ。僕は実家の和室に準備された布団に入る。僕が実家で暮らしていたころに使っていたベッドはすでに処分されているため、帰省中の僕の寝床は和室に布団だ。

布団も至れり尽くせりだ。両親は二人とも背が高くないので身長175㎝の僕は、規格外のサイズだと思っているらしい。布団の足元には座布団が2枚並べて置かれており、布団的縦スペースの延長を図ってある。敷布団から、足がはみ出ることは残念ながらない。しかしまだ息子が成長期にあることを期待している可能性があるので、その延長をありがたく受け入れる。そして、敷布団の上に毛布、掛布団の下に毛布だ。毛布がパティとして、ビックマックの真ん中のパンの部分が僕の身体になる。これだけ装備させておいて、翌朝には寒くなかったかと聞いてくる母の愛情たるや、計り知れない。どこで買ってきたんや!というくらいダサいセットアップの寝間着を着込み、眠りにつく。

朝8時ころ、目が覚める。実家にいる間は3食生活なので朝ご飯がある。普段は朝ご飯は缶コーヒーとタバコ2本で済ませているので、腹は全然減っていない。

ご飯、みそ汁、納豆、サラダ、目玉焼きor玉子焼き、ウインナー、これだけで十分なのだが、アジの開きorししゃも、小鉢(しらす大根おろし)が遅れてテーブルに並ぶ。母は、息子がアジの開きとししゃもが好物なのをよく知っている。ご飯を2杯食べ、全てのおかずを食べきって、お茶を飲む。

食後約3時間で、昼食がやってくる。そしてその5時間後には夕飯。もう実家に帰っている間は腹を空かせるタイミングがない。食間にもお菓子やフルーツ(朝食の後にもフルーツタイムがある)を食べ続け、適当に新聞をめくり、父と二人で本屋に行き、何冊か父に本を買ってもらう。帰ってきたらその本をのんびり読み、夜になったらビックマックになって寝る生活。カロリーを消費する隙はほぼ無い。

そんなぬるっぬるのぬるま湯生活を、年に1回することで僕の精神は保たれているのかもしれない。両親には感謝である。あ、メンズアロマでも保たれてるか。

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