見出し画像

ひきこもっていたときの近所の人の目線

私は、小学校1年生の頃から学校に行かなくなり、不登校になりました。 その前の幼稚園に通っていた頃からも、行き渋りがちの傾向で休んで家に居ることが多かったように思います。

幼稚園に通っていた頃は、休んでもあまり言われることはなく、割と自由に過ごしていたと記憶しています。 小学校に上がってからは「今日は学校どうしたん?」「学校は行かなあかんよ」「なんで学校行ってないの?」と近所の人や周りの大人に声をかけられることが増え、学校に行くことがつらかった自分にさらに追い詰められるようでした。

「学校=行かなければならない」⇒「自分=行くことができていない」⇒「自分はダメだ」といった考えが、ぐるぐると回っているような感じでした。 不登校という言葉がそもそもなく、学校に行くことが当たり前だった時代の人からしたら、「学校に行かないなんて甘え」で「親不孝」だ、と思われていたと思いますし、実際にそう言われたこともありました。

「なんで学校行ってないの?」などといった言葉がけをする人の多くは、悪意を持っていたり追い詰めようと思っていたりするわけではなくて、将来への心配といった親心で言ってくれているのだと、今から考えるとそう思います。

不登校になった当初(小学校低学年ごろ)はなんで学校に行けないのか自分でもわからず、周りの大人にもうまく説明できず、自分と向き合って葛藤していた時期でした。

その当時は周りからの言葉がけを親切だと理解できずに、ただ追い詰められているのだと、余計に苦しくなるばかりでした。

大人側の思いも今ならわかりますが、当時の自分として言うとできれば「そっとしておいてほしかった」と思います。

(Webメディアいちる投稿 2017年11月3日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?