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昨今、LGBTは流行語である。LGBTに限らず性は今や秘めたるものではなく、真面目に正面から語られる話題となった。『牙を抜かれた男達が化粧する時代』という本も出版されているし、ミソジニーについての議論もある。まだ読んでいないのだが椰月美智子『ミラーワールド』は「女尊男卑」の世界を描く。妻の横暴に閉口する主夫、「婿舅」問題に悩まされる婿、等々を描いているそうだ。君嶋彼方の『君の顔では泣けない』は高校生の男女の心と身体が入れ替わる話。もっとも性は現代だけの問題ではない。プラトンの『饗宴』を読まれれば、3000年の昔から愛についてのさまざまな議論があることがわかるであろう。
しかし性に関して1冊の本を挙げろと言われれば、僕は躊躇なくアーシュラ・K・ル・グィンの『闇の左手』を選ぶ。ル・グィンの名はSFファン、ファンタジーファンの間に轟き渡っているし、一般の人でも『ゲド戦記』の作者としてご存知の方も多いであろう。『闇の左手』の原語の出版は1969年、日本語訳は1978年、ハヤカワSF文庫、小尾芙佐訳で出版されている。
僕がSFの虜になったのは15歳の時であったが、それはひとえにセンス・オブ・ワンダーの魅力であった。それゆえル・グィンの登場は衝撃的なものであった。ル・グィンのSFはもちろんセンス・オブ・ワンダーに充ちている。しかし、それ以上に文学であった。漱石・鴎外・芥川という日本文学に馴染めなかった僕にとって、SFが純文学作品になりうるということに驚きと悦びを感じたのであった。
『闇の左手』の舞台は遠い未来、人類の末裔が銀河に拡がった時代の惑星ゲセンである。この星と外交関係を開くべくやってきた人類の使節ゲンリー・アイ(黒人男性)は、遅遅として進まない交渉に悩む。ゲセンの人々は同じ人類ではあったが特異な進化を遂げて、両性具有の社会を形成していたのである。ル・グィンはゲセンにおける性の問題について1章を割き、ゲセン人の性の生理を詳しく解説する。しかし、この小説は単なる両性具有の物語ではない。ゲセンの歴史、民話、社会制度がリアリティをもって語られる。これは壮大な民俗学の物語なのである。
物語の後半、ゲンリー・アイは何ケ月にもわたり交渉相手のエストラーベンと二人で広大な氷原への逃避行をする。難しい交渉相手でありながら、ゲセンの政府からは疎まれた男でもない女でもない人との奇妙な友情。
そして、ラストはこれまでこの物語を読んできた人に奇妙な感動を喚起させる。
ゲンリー・アイは自分の星からの使節が惑星ゲセンに到着する場に立ち会うのだが、彼の目には、彼ら人間がとても奇妙な動物に見えるのである。低すぎる声、高すぎる声。珍妙な動物の群れ、知的な顔をした類人猿、どれもさかりがついてケメル状態の……。
『闇の左手』はセンス・オブ・ワンダーに充ちたSFであり、孤高の文学であり、性の問題を取り上げた文化人類学的作品なのである。

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