山本五十六とコントラクト・ブリッジ
山本五十六が連合艦隊司令長官として1941年12月8日の真珠湾攻撃の指揮を取ったことは誰もが知っていることであるが、その彼がコントラクト・ブリッジの愛好者であったことはどの程度知られていのだろうか? 彼がおそらくは即興で作ったあろう句がある。「グラスラにほど遠けれどリダブリて、ジャスト・メイクの心地こそすれ」。僕はコントラクト・ブリッジ愛好者なので、その意味がよく分かる。グラスラとはグランド・スラムのことである。今ではテニスやゴルフのメジャー・トーナメントを全制覇することをグランド・スラムと呼んでいるが、その語源はブリッジ用語である。13回の勝負すべてに勝つことで、麻雀で言えば役満で上がるのに匹敵するような勝ち方である。それに対してリダブルの意味は、相手方のビッドに対して、それを必ず阻止すると宣言するのがダブル、つまり掛け金を倍にするという宣言である。ダブルを掛けられると、ふつうはちょっと怖じ気づくのであるが、とんでもない、ダブルなんかこっちが阻止するぞというのがリダブルである。掛け金は当然4倍になる。このリダブルを宣言して、宣言丁度のメイクをした気持ちを上の句は詠んでいるのである。こんなハイカラな句を詠む連合艦隊司令長官が、鬼畜米英などという文言を本気で信奉していたであろうか? 山本五十六は日米開戦には反対であった。負けることが分かっていたからである。12月4日のテレビ、MBSの報道特集「封じられた非戦の信念 真珠湾攻撃80年」では、五十六が親友・堀悌吉に宛てた苦悩の吐露とも言える多くの手紙が紹介されていた。1943年4月18日、ラバウルから五十六を乗せて飛び立った攻撃機はブーゲンビル島上空でアメリカ軍機に撃墜された。五十六の行動は、暗号を解読していた米軍にことごとく知られていたという。しかし、ひょっとすると、米軍のことを熟知していた五十六はその攻撃を察知した上で、覚悟の飛行であったのかもしれない。戦後、戦犯としての汚名を着るよりは、はるかに潔い死であった。
僕はブリッジのゲームで、ダブルをしたことはあるが、グラスラもリダブルも成し遂げたことがない。