見出し画像

余裕で作られている社会なんだよね。今は。

コロナウイルスの勢いも落ちてきて、

そろそろ自粛から抜け出し、

ジワジワと経済活動復活させてもいいんじゃね?

といったムードがでてきた今日このごろです。

飲食店さん等の、まぁ人が集まる事で成り立つ商売の方々は本当に厳しい状態なんだと思う。あ、ウチもか?

今回の自粛生活。

生活スタイルが変わるー、とか、価値観が変わるー、とか。

いろいろ言われてるみたいなんだけれども。

外に出て人の集まる所に行きたいという気持ちは、すでに経済活動を復活させつつある近隣諸国をみる限りでは、割と限定的なんじゃなかろうか?と思っちゃう。

割とね。今の自粛生活でもね。困る事はあまりなく。平日は家にこもってても、土日とかで外にでて外気に触れれば、割となんとか精神も保てて。

犯罪率が上がるかっていうと、犯罪する人たちもコロナが怖いせいか、割とそんなニュースも聞かず。

なんか、このままの状態でも「個人の収入さえなんとかなりゃ」なんとかなるんじゃないのかな?とも思えちゃう。ベーシックインカムキタコレか。

何が変わったか、っていうとお金を使う機会。

外食ができない。旅行ができない。遊べない。ショッピングにでかけられない。

最早お金をドコで使うんだ、っていうレベル。

スーパーで食料を書い、アマゾン等でオウチで遊べるナニカを書い、インターネットショッピングで服を買う。

わりとオンラインショッピングだと、ついで買いってのをしない?から、余計なものを買わなくてすむ。

そりゃお金つかわないよね、ってかんじで。

となると今までのお金の使い方って、結局不要不急であったお金の使い方だったってことで。

こんなん余裕があるからできる事で。

つまりは今のモノが溢れ、サービスが溢れる社会ってのは、そういう金銭的な時間的な「余裕」から作り出された社会ってわけなんだな、というのを実感。

そういう意味絵で今の日本ってのは「余裕のあふれる国」なんだなって、つくづく思うわけなんだよね。

戦前戦後の余裕のない状態から、数十年で余裕が溢れ出て、行き先すら迷えるレベルまでの余裕を上手く汲み取り発展してきたこの国で、

コロナ自粛が始まり1~2ヶ月。

その余裕を受け取っていた街がどうなっていくのか。

それが本当に心配。

ひとびとの余裕は溢れていくもんなのかね?溜まりに溜まったヒトの余裕のココロは、さて積み重なるものなのか?

容器みたいなもんで、あふれでちゃった分は捨てていくだけなのか。

余裕の行き先は、さて同じなのか?

気になっちゃうよね。ほんと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?