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セッションとは響き合い。

こんばんは、アリス食堂です。

マヤ暦セッションによる繋がりから、文章にしたいと思ったことありました
宜しければ、お読みくださいませ

先日、セッションをさせていただきました
これまで友人には何人かセッションしていたけれど、お客様という方にセッションするのは初めてで、そんなに受けてくださる方はいないだろうと高をくくっていましたが、

予想に反してのお客様の人数!とってもとっても感謝致しております!!

そんな、有り難いお客様とのセッションによる響き合いから感じたことをここに文章にしたいと思います。


”才能はできないからはじまる”

才能という言葉をググってみると、こんな意味
ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力
だそうだ。

うん、多分そうだ
いいえ、そうだと私は深く思う。

そして、才能というものには、その人の人生の体験を経て目覚めるという深く揺るぎない底力があると。

ここからは、私の話をしようと思います

私の才能は「人の幸せを自分の幸せと感じられる」です。

へっ?それって才能ですか、と思われた方
十分その へっ?という状況をお察し申し上げます

ですが、そうなのです
完全に私の才能であると思っているのです

なので、”才能はできないからはじまる”を十分というほど味わってきました

生まれた状況から、それはもう始まっていました
私の幼少期はどちらかというと、おとなしい性格でした

いえいえ、どちらかというとなんてもんじゃありません
小1の頃の通知表には
他のこどもたちに押しつぶされそうなほど大人しくて存在感がない
と担任の先生に堂々と書かれていました

私は黙っていたし、譲っていたし、何もしなかった
それは、ずいぶんな大人になるまで続いていました

それに気づく始まりは体を使って病という状況によって気づくのです
自分という舵取りをそれまでとは違う方向へと少しづつ変えていきました
変えていかされた、またはせざる得なかったともいえますね

すると私の状態に気づき始めました
我慢していたのだと。

気づき始めたら我慢は我慢したくないに変わっていきました
そうすると楽しくなってきて緩んできて、私の心の声を聞けるようになってきました

私は幸せになりたいのだと心は教えてくれました

では、私だけが幸せならよいのか、そうではありませんでした
私は周りを幸せにしたいのです
子供、家族、友人たち、私に関わった人たち

これまでもそうしてきたつもりでした
周りの幸せのためにと生きてきた
でも、ちっとも私は幸せではありませんでした
そして、周りも幸せそうではありません

その状況にとても疲れていきました
何が疲れさせていたのか、それは私が幸せではないということ
私が私を幸せにしていないということでした

幼い頃、私はよくすねたり、怒ったり、泣いたりしました
それは、甘えたいの裏っ返しでした
本当は両手を広げて抱きしめてほしかった
あともう一回だけ言葉をかけてくれたら「うん」と首を縦に振るのにと思っていた
ごめんなさいと言いたかった
ありがとうと言いたかった
出来ない自分を幼いながらに気づいていました

小学生の頃、勉強もスポーツもできない子でした
何をやってもできない子供
だから、皆にモテていて出来る子を羨ましく思っていました
「私なんて、、」

中学の時、好きな人が出来ました
初恋に気持ちが上がって、ラブレターをまで書いて、相手の気持ちなど考えることなどせず
舞い上がっていた私は振られました
私が羨ましがっていた女の子と付き合っているらしいと聞き、廊下で友達の肩で泣きました
泣いてる私に謝ってくる子がいました
その女の子でした。
なんだか惨めで、情けなくて、また私は私を「私なんて私なんて、、」

高校、成人と私の「私なんて、、」はついてまわります
私なんて、、と思っている私には幸せとは程遠い状況ばかりがついてまわります。

でも、私の才能をもつ心はうずくのです
だから、誰かを幸せにしようとするのです
でも、出来ないのです
なぜなら、私が私を幸せにすることを受け入れていないから
自分の幸せを受け入れられない私が誰かの幸せを受け入れられるはずがないのですから

私は幸せになりたいのだと気づきました

私の幸せ、誰かに愛されていること、求められていること、モノに溢れていること、そういう状況に私の身をおいていること、、今まで私が幸せだと望んでいた事はまやかしだったのかもしれません。

そして、誰かに愛されることを望んでいるという幸せがまやかしなのだという不安が目に見える形によって襲ってきました
私の体の心臓がドキドキと大きく音を立てる
これまでの悲しみがその心臓音となり私の体中に悲しみが巡る
私はただただ心臓音に手を当て、寄り添い、悲しみに寄り添う
脱力し、崩れ落ちそうな悲しみ
私が持っている悲しみ
これまで見ないように、感じないようにしてきた感情です。

だけど、その感情という波はいつかは過ぎ去る
そして、優しく私に語りかけてくる私の声

「愛されたいよね」

そう、私は愛されたいのです
求められたいのです

まやかしでもいいのです
私の素直なままの気持ちを微笑ましく私は受け入れる
そうすると楽しくなってきて、幸せで、すでにもう愛されているのだと気づく

望むものは全てもうある。
私たちは持って生まれてきているのだから。

それに気づくために、私たちはまずできないから体験するのです

さあ、
あなたの才能はなんですか?

ココロの紐解き屋
アリス食堂

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