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子育てという感覚

こんばんは、アリス食堂です。
大変ご無沙汰しております。

よろしければ、久しぶりの文章にお付き合いいただければ、
嬉しいです。

今回は、子育てについて。

私には一人息子がいて、
彼は最近、学校の合唱コンクールでピアノの伴奏をすることになりました。

なぜかというと、
クラスでピアノ教室に通っているのが息子だけだったから、らしい。

だけど、今は先生の諸事情により通えていません。
通い出してから3ヶ月くらいで通えなくなったので、
ピアノが弾けますレベルでは全くありません。
ピアノ触ったことあります、ぐらいの生徒なのです。

練習が始まっているであろう期間
「疲れたーー」
と帰ってくる息子に、大変なんだろうなぁと心の中で思います。

家でもピアノに触ろうとしない。
練習すればいいのに・・心の中で思う。
だけど、学校で頑張っているであろうから家ではゆっくりさせようと、
「いい経験になるね~」
とだけ言って、知らないふりでいる母親のワタシ。

当日、内心はドキドキ。
私と同じ緊張するタイプの息子に
「頑張ったね」
と終わったあと笑顔で言おうと決めていました。

内心はどうであれ、私は息子にあまり口うるさく言わない。
言わなくなったというところ。
昔々は、色々大変だったから。

小さい時の息子は発達の遅れを指摘されて、
療育を受けていました。
療育に繋がってとても良かったと思っています。
親子ともに成長させていただいた。

だけど、療育中の1年目は私は毎日のように泣いていた。
何故なら不安だったから。
何が不安だったのかというと、息子のいる世界が分からなかったから。
そして、その世界は息子が成長するとますます遠いものになるように感じたから。

その要因の一つに発達のプロと言われる方々からの言葉があります。
それは、分からないものを説明してくれる有り難い言葉でもある反面、
子育ての舵取りを親子からとってしまう場合もあるから。
私は息子を育てる舵取りが完全に分からなくなってしまった母親だったのです。

1年間泣き腫らして思ったのは、息子の見ている世界を見たいということだった。息子と同じ目線にたち、彼の見ている世界を一緒に見たいと。
そして、分かったことは、
「なぁーんだ、私と一緒じゃん!」
ということ。

母親と子供は繋がっている。
それは感覚というところでのつながり。

だから耳が聞こえなくても、言葉が出なくても、
体が思うように動かなくても、寝たきりでも、
目に見える世界では繋がっているように到底思えないと感じたとしても。

繋がっていると、わたしの感覚を信じ目を閉じて感じれば、
見える世界がある、感じる言葉がある、伝わってくる思いがある。

子育ての感覚。

さて、息子の合唱コンクールの当日に戻ります。

緊張している様子。
ちょっと顔色が悪い。
大丈夫なのか・・

椅子に座り少しの静けさの後、
息子の体がリズムをとるように動いたあと
鍵盤を弾いた。

右手だけ、左手は少し弾いたけど、間違っていた。
ほぼ右手だけのピアノ伴奏だった。

だけど、我が息子のことをこういうのもなんだけど、
言わせていただきたいです。

私は息子の奏でるピアノの音色がとても好きと思った。
彼の弾くピアノの音色はとてもきれいで澄んでいた。

「母さんはあなたのピアノが好きだ。
 あなたも好きでしょ?」

家に帰って息子に伝えると息子も嬉しそうに大きく頷いた。

ゲームが好きで、バーチャルな世界は私は苦手だけど、
息子と同じ世界をまた一つ見つけられたようで嬉しい。

音楽という感覚で息子とまた繋がりたいと思う。

お読みいただき、ありがとうございます。
また次回のアリス食堂にて。









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