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1937/09/13 上海ベイビー資料

<注意>
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9月13日の出来事

(現在、執筆中)


1.『同盟句報』

1937年9月13日 『同盟句報』 第09号 1937年9月中旬 p73~74

支那代表付属文書提出

ジュネーヴ【九・一三】 支那代表顧維鈞氏は十三日アヴノ ー ル事務総長に提訴理由を縷述した付属文書を提出したが前文は次の通り
 支那政府は一九三七年ハ月三〇日附をもって連盟に対し日支問題に関する覚書を提出したがそれ以来日本の支那侵略は一層熾烈粗暴を加え第三国民を含む非戦闘員の声明財産を無法に毀傷した事態の重大性に鑑み支那政府はここに付属文書をもって次の事実につき特に連盟の注意を喚起する。
 (中略)
四 非戦闘員に対する無差別的攻撃
日本軍飛行機の非戦闘員無差別爆撃の例は数限りがない、しかしここに悲惨な例を二三挙げて極悪非道の犯罪行為を例証しよう。
  (中略)
又八月二八日〇〇台の日本軍飛行機が上海の密集地域南市を襲撃した同市に は支那軍陣地皆無なるにかかわらず南停車場付近に爆弾投下、ために無辜の市民二百余名惨死、五百名は負傷した、被害者の大部分は安全地帯へ避難するため列車の到着を待っていた避難民であり、その中には多数の婦女子が含まれていた。


2.(参考)2017-08-28       『日军轰炸上海南站八十周年』:被战争改变的城市交通格局

<解説:中文>对于日方的狡辩,国民政府和中西媒体均予以严厉驳斥。在9月10日向国联提出申诉并发表的“第二次声明书”中,国民政府对日军轰炸南站一案作了如下阐述:

八月廿八日日机十二架袭击上海南市,南市人口稠密,系平民居住区域,绝无中国军队或阵地。日弹密集南站附近,死无辜平民二百余人,伤五百余人,罹难者均系候车离沪之难民,尤以妇孺为多。

日军轰炸上海南站八十周年:被战争改变的城市交通格局

事实上,像这样的“空中屠杀”在京沪、沪杭甬铁路沿线的松江、苏州、嘉兴、无锡、长安镇等站都发生过,惨烈程度并不亚于南站,所以时人悲叹道:逃出了火线的难民,逃不过杨行、南站,逃过了南站的难民,逃不过松江、嘉兴,逃过了松江、嘉兴的,逃不过苏州、无锡。可怜的逃难者,仍旧逃不出倭寇的毒手!

<解説:日文>
日本の詭弁は国民党政府、中国や欧米のメディアによって厳しく反論された。 9 月 10 日に国際連盟に提出された「第二声明」で、国民党政府は日本軍の南駅爆撃について次の ように述べた。

8 月 28 日、日本の飛行機 12 機が、中国軍も拠点もない民間人の密集している南上海を 攻撃した。 日本軍の砲撃は激しく、罪のない一般市民が200人以上死亡し、500人以上が負傷した。その全員が上海からの脱出を待つ難民で、特に女性や子供であった。

日军轰炸上海南站八十周年:被战争改变的城市交通格局

実際、このような「空中虐殺」は、北京-上海、上海-杭州-寧波の鉄道沿線の松江、蘇州、嘉興、無錫、長安鎮でも行われ、南駅に劣らない悲惨さだったため、当時の人々は「射線から逃れた難民は陽興や南駅からは逃れないし、南駅から逃れた人は松江や嘉興からは逃れないし、逃亡した人は 松江、嘉興を脱した者は、蘇州、無錫を脱することができなかった。 まだ日本から逃げられない哀れな逃亡者たち!



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