見出し画像

朴永心証言・取材記事1(資料)   ~慰安婦となった経緯~

朴永心証言・取材記事1 ~慰安婦となった経緯~ 一覧表

①1995「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 『踏みにじられた人生の絶叫』

1938年3月頃、私は日本帝国主義の「婦女供出」にとられた。黒い制服に星を2つ付け、サーベルを下げた日本人巡査が私と22歳の朝鮮の娘を平壌に連行した。そこには15人の朝鮮女性が連行されて来ていた。彼女たちは一緒に有蓋貨車やトラックに乗せられ、最初に連れていかれたところが中国の南京であった。

「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館 慰安所マップ」より        

元:『짓밟힌 인생의 웨침(踏みにじられた人生の絶叫)』                 
                 「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 1995                            

②1999.05.27 朴永心の証言

私は17歳でした。南浦にあるおばあちゃんの家を訪ねたところ、日本人の男が彼らをフォローしてお金を稼ぐように言いました。彼らは私が工場に行って、お金を稼ぐと言ったので、私は彼らに従いました。私は一日中電車に乗っており、中国の南京にいました。そこには日本兵の群衆と女性の群衆がいました。彼らは基本的に私たちを「慰安婦」にすることを強制しました。

ニュース打破 目撃者 悲しい帰郷第2部「北の祖母の証言」2016年03月11日           (1999年5月27日フリージャーナリスト伊藤孝司が平壌で取材した動画6:00~10:17)より       
注:2016年放送の番組。ナレーションや見解、挿入された写真資料等は1999年以降のもので、 テロップの1998年は1999年の誤り。                        

③2000.12.07~08 『女性国際戦犯法廷の記録』
「従軍慰安婦・朴永心の証言」  

17歳のときでした。1938年3月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。22歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でした。

松下昇への接近 旧 湾曲していく日常 「従軍慰安婦・朴永心の証言」より          
        
元:『女性国際戦犯法廷の全記録 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』  

④2003.12.25 西野瑠美子
『戦場の「慰安婦」 拉孟全滅を生き延びた朴永心の軌跡』 

17歳のある日のことだった。店に赤い帽子を被り黒い制服を着た、見るからに恐ろしい形相の日本人の巡査が現れた。「お金が稼げる仕事があるが、お前もいかないか」巡査の日本語は片言しか分からなかったが、稼ぎのいい仕事があるという誘いは、永心の心を動かした。腰に付けたサーベルは怖かったが、巡査が怖かったからついていったのではない。「お金が稼げる仕事がある」という言葉を信じたのだという。1939年8月のことだった。永心は同じ村の22歳の娘らと一緒に平壌駅に連れていかれたが、そこにはすでに十数名の娘たちが集められていた。巡査は娘たちを憲兵に引渡すと、そそくさと姿を消した。

ブログ 忍者ツールズ(Ninja Tools)「従軍慰安婦問題を考える」より             
             
元:『戦場の『慰安婦』-拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡』西野瑠美子 2003.12.1     
     
 
注:西野瑠美子『戦場の「慰安婦」拉孟全滅を生き延びた朴永心の軌跡』を多数引用している「ア
クティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館
 慰安所マップ」に未掲載なのは、先の 
  ①1995『踏みにじられた人生の絶叫』を掲載しているからである。                                     

⑤2004.01.17 ノーカットニュース
「北、従軍慰安婦出身のパク・ヨンシム調査結果発表」

1939年8月、ある日、刃物を持った日本人巡査が訪れ、「金儲けがいい仕事がある」として連れて行った。この時、22歳のオクギョンという娘も連れて行かれ、平壌駅にはすでに20歳前後の娘15人ほどが集まっていた。 彼らは、日本軍の物々しい監視を受けて中国に連行され、朴さんは中国南京に設置された日本軍慰安所に配置された。

 노컷뉴스(ノーカットニュース)「北、従軍慰安婦出身のパク・ヨンシム調査結果発表」より   
     
 注:17日付け北朝鮮労働新聞掲載のパク・ヨンシムの被害実態調査報告書を発表を要約したもの 
       
 元:北朝鮮「補償対策委員会」調査報告書 2004.01.17                      

⑥2005.05.19 朝鮮新報
「<日本の過去を告発する>『慰安婦』として連行された朴永心さん(83)」

私は14歳の時、南浦市の洋服店で食事係として働いていた。1938年3月のある日、日本人巡査が店に来て、「いい仕事があるから紹介してやる」と言った。私は、「両親に聞かないといけない」と抵抗したが、無理やり車と汽車に乗せ、どこかに連れて行かれた。移動している間、監視が厳しくてトイレにも行けなかった。その時になって初めて「いい仕事があるのではない。騙された」と思ったが、時はすでに遅かった。私が最初に連れて行かれたのは、中国・南京だった。

・ブログ 忍者ツールズ(Ninja Tools)「従軍慰安婦問題を考える」より            
               
・(都議会議員初鹿あきひろ先生応援サイト)mumurブルログ「日本人はセックスを拒否した朝鮮女性を殺しスープにして、私に食わせた」より                      

元:2005.5.19朝鮮新報「日本の過去を告発する『慰安婦』として連行された朴永心さん(83)」 
             
注:朝鮮新報HPでは、現在閲覧できず。                                 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?