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ワタシノ足跡〜第五章 会社員から坊さんへの修行記〜


得度式を終えて

俗名の裕人(ひろと)
改め 

僧名の雄真(ゆうしん)の時代が始まった

俗名とは 仏教の考え方で、生前に使っていた本名を指します
【得度とは】
僧侶になるための最初の儀式を「得度式(とくどしき)」といいます。
悟りを求めて仏道の修行に入ることを
「得度」といい、その儀式を「得度式」といいます。

家庭裁判所に行き戸籍も
雄真に変えました

ちなみに、
一般の方の改名と違い
下記の条件がひとつでも
裁判所に認められれば僧侶は比較的に簡単に
改名が可能なのです
費用も3,000円も有ればお釣りがきます

・宗教活動が社会活動の主要面を占める
・在家出家でなく住職として寺を管理運営している
・実生活において、法名、僧名の使用実績がある

そして、得度してからは東寺真言宗の末寺で
僧侶として勤めることになりました

東寺真言宗の末寺とは
東寺(とうじ)は
京都にある五重塔で有名な東寺真言宗本山
末寺とは、例えるなら東寺が本店、
末寺は支店を総称した呼び名です
真言宗は弘法大師空海が開祖です

自分の仕事は最初に師匠(住職)から言われたのは
師匠の随行(付き人)

師匠がお祓いや祈願や供養、地鎮祭などで
お出掛けの際に運転や祈願等に
用いる仏具等の準備やセッティングをします

それ以外の日は寺院内にて雑務を行います

お寺の世界では
仏像への供物を準備も庭掃除も
総称して作務(さむ)と言ったりします。

その作務の時に着るのが作務衣(さむえ)なんです

作務衣

旅館とか和食屋さんのみなさんも作務衣を
着られている姿もよく見ますね

作務の中にもお坊さんの間で「掃除」の事を
「下座行(げざぎょう)」の別名もあります。

下座業とは、
お坊さんの大事な修行でもあり、
仕事の一つに「下座行(げざぎょう)」というものがあります。
「下座行」とは他人よりも一段と低い位置に自分の身を置くことです。
また、そのような状態でも不平不満を表さないことにより己を磨く修練であり修行です。
(プチ法話)「下座行(げざぎょう)のススメ」

自分の中では仏像に供物を準備することや
祈願等の仏具を準備するなど仏事に関することを
作務、それ以外の清掃などは下座業と区分してました

私が修行したお寺は当初は野球場がふたりくらいの山を開拓した本堂がひとつ
本堂の前に20段程の石段、寺務所(事務所)はプレハブという建立ほやほやでした木を植え、ビリ砂利を敷き庭を庭石を置き枯山水を今から創るという状況でした。

在寺の一日のスケジュールは
6時 作務
仏像に供物を準備して供える(着衣は作務衣)

6時半〜8時 朝勤行(あさごんぎょう)
お経を唱える(着衣は如法衣(にょほうえ))

8時〜9時 下座業 主に石階や本堂の清掃
            (着衣は作務衣)

9時〜10時半 下座業 
     (着衣は一般的な作業着&長靴)
庭木や苔を植えたりビリ砂利を敷いたり庭造りや
時には参道に石灯籠を組み立てたりします

10時半 作務 (着衣は作務衣)
師匠の午前の加持祈祷の受付・仏具準備・線香や蝋燭も祈祷用に替える


11時〜11時半 作務 (着衣は如法衣)
加持祈祷の補助
(祈祷を受ける方の体調変化が
 あったりすることもあるので介助したり)

11時半〜12時 作務(着衣は作務衣)
加持祈祷の後片付け

12時〜13時 昼食 昼食後 お経の自主トレ
             (着衣は作務衣)

13時〜13時半 下座業 午前の作業の続き(着衣は作業着)

13時半〜14時 作務(着衣は作務衣)  
師匠の加持祈祷の受付・仏具準備・線香や蝋燭も
祈祷用に替える

14時〜14時半 作務 (着衣は如法衣)
加持祈祷の補助

14時半〜15時 作務 (着衣は作務衣)
加持祈祷の後片付け

15時〜16時半 下座業 
(着衣は一般的な作業着&長靴)午後の続き

16時半〜17時 作務 
(着衣は作務衣)本堂の掃除など

この時間に師匠が夕勤行(不定期)を始めると
寺務院さんから私に伝達があると
まぁ大変、
ダッシュで作業員スタイルから
如法衣に着替え僧侶に変身する
それも師匠より先に着替え着座して
待機しなくてはならない
(ちょっと、まだ着替えが
間に合いませんとかは言える世界では無いのです)

17時半 お勤め終了 帰宅後 
写経などで自己修行したりサボったり。

(着衣は・・・)と書きましたが
作務衣→如法衣→ 一般的な作業着→作務衣→如法衣→作務衣→ 一般的な作業着
→作務衣と少なくてもこれだけのお着替えがあります

加持祈祷(かじきとう)とは、
仏教のなかでも密教に関わりの深い言葉で、
「加持」と「祈祷」と言う2つの用語を合わせた物です。
本来、加持の「加」は仏の慈悲の心がいつも衆生に注がれていることを意味して
その慈悲の心を良く感じ取ることができることを「持」と言います。
加持とは、
願主の想いや願いを仏に届け、
仏に加護を求める行為のことを言われております。

加持祈祷により祈願される内容には、
心願成就や厄除祈願、災難消除、家内安全、息災安穏、交通安全
など様々あります
如法衣


これが日常の内容ですが
毎月28日の※護摩供養や
青葉祭(弘法大師空海の生誕祭)や大祭(イベント)など
ある日など基本的に
勤行と作務や下座業(時間は調整)は
必ずしますので間に準備片付けが入るので
かなり多忙なのです。

「護摩(ごま)」とは、
サンスクリット語の「ホーマ」を音写したもので
「物を焼く」という意味です。
一般的には護摩木を焼くと、炎があがりますが、
実はその炎が重要なんです。
燃え上がる炎は「天の口」と言われ
仏の智慧の象徴でもあり、
その口から供物を食すと言われています。

つまり※護摩木は、供物として焼かれるのです。

そして、 
煙が天に届くことで、天は食を頂くことができ
代わりに人に福を与えるとされています。

由来はバラモン教の教えてにあります。
今では主に天台宗や真言宗など、
密教系の仏教宗派が護摩行(ごまぎょう)という
修行の一環として行いたり
祈願や供養として行うこともあります。


護摩行


護摩木(病気平癒や家内安全などの祈願と祈願主の氏名を書くのが一般的ですが
自己修行中などは記入しません)

師匠は加持祈祷の合間の時間は、
とても強烈なスピリチャルな力と法力をお持ちの方でしたので御参りに来られて
師匠に御相談事をする方がとても多くて
ほとんどの時間は御相談を受けていました。

御相談や祈祷を目的に来られる御参りの方と
以前、師匠に御相談や祈祷を受けた方が
ご自身で心や体調のメンテナンスや御願い事のために
参拝したり時には本堂の隅でお経を読まれる方も多数いらっしゃいました

御利益があったと毎朝来られる方も多かったです

下座業も師匠曰く功徳があるとの事で
私たちといっしょに作業を手伝ってくれる方も
多数おられました

お寺には2種類のタイプがあります

祈祷寺(きとうじ)または相談寺と呼ぶところもあります
そして回向寺(えこうじ)または供養寺と呼ぶところもあります

祈祷寺とは、祈願の目的で建立されたり、保護されたものです。

多くは将軍や大名などが先祖供養の回向寺とは別に、
利益祈願や一族の繁栄、戦の無事などを目的に建立したものです。

現代においては、真言宗や天台宗系の寺院などにおいて護摩祈祷という、護摩木を焚いてご本尊様に願い事の成就を祈るのが、祈祷寺の特徴でしょう。

江戸時代には、先祖の墓を設置し
先祖供養を行った回向寺と、
それとは別に、無病息災、家内安全、商売繁盛などの個人利益をお願いしに行く
祈祷寺がありました。

たとえば徳川家の回向寺は浄土宗の増上寺ですが、
祈祷寺は当時天台宗だった浅草寺でした。

江戸時代は、庶民は二つの寺院へ出入りしていたと
言われています。

今現在は一般的には
このふたつの区分が参拝者さん側も寺院側も
曖昧になっているところも多いとおもいますが

生きている人のための祈祷寺もしくは相談寺
亡くなった方や先祖を供養する回向寺
もしくは供養寺と自分は区分してます。

回向(えこう)とは、読経「【どきょう】お経を読む事」などを通して得た功徳(ご利益)を他の人に分け与えて極楽に行けるようにしたりすることです。そのための法要のことも回向と言います。
「大切な人が亡くなった後も、
 心安らかにいてほしい」
という思いを込めておこないます

自分の日常の勤めは作務・勤行・下座業が主でしたが

「御参りに来られる方から
 世間話でもお悩みでも愚痴でも
 話掛けられたら作業の手を止めてちゃんと向き合って
 話を聞いてあげなさい

ひとは誰かに話しただけでスッキリしたり
 自ら反省点や解決策を見出すこともあるのだから


 それも
 僧侶の勤めだ!」                    

と師匠に教え込まれてたので駐車場や参道で数時間に及び話を聴く事もありました

時には庭石を見に行ったり
庭木を購入や寄贈者さんに頂きに行ったり
枯山水造りの勉強の他の寺院や由緒ある庭園や
高級旅館の庭園に見学に行ったり

「 いろんなひとの多種なお困りごとと
  向き合い、時には寄り添うために
  多種多様の見聞と知識を拡げなさい」

年に数回は
日本国内の京都などの由緒あるお寺の見学や
中国やインド・カンボジア・タイなどの仏跡や寺院を
回ったり交流をしたりラスベガスや世界的エンターテイメントを
裏で支える清掃員さんの見学や
アメリカのマウントシャスタやヨセミテなど大自然の中で
修行する師匠のサポートしたりと
12カ国ぐらいを飛び回ることもありました。

そんな経験と体感で自分の世界観や価値観がどんどん変わって行きました

つづく、

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