見出し画像

ワタシノ足跡〜第六章 助言無き教えと悟り〜

お寺に勤めだして
その経験と体感で自分の世界観や価値観が
どんどん変わりました

「 こんなに悩みや困り事を
  抱えているひとが多いんだ 」
「 こんな眼に映らない世界ってあるんだ 」

これ以外にも、もちろんたくさんありますが
大きく取り上げるとこの2点

スピリチュアルな話ですが、

10代の頃の特に高校時代から
自分は霊感があるという事を
自覚せざるを得ない
できごとが続いた

幽体離脱や金縛りは日常的
幽霊などもよく眼にしてました

仏門に入って読経などの自己修行を重ねると
自分の中の自己問答や自己否定がはじまった

様々な悪しき執着や不要なこだわり

「 僧侶なのに! 」という自己束縛

何かしらの悪しき習慣や煩悩や
こうで無くては、ならないの自己ルール

そんながんじがらめの自分と向き合い

そしてため息

ため息をかき消し塗りつぶすかのように
お経を読み倒す

今の自分はそういうことはないが


僧侶になりたての頃は張り詰めすぎていた

所謂「いい塩梅」が出来てなかった

簡単に言えば
自分の中の天使と悪魔に戦いに疲れていました

そういう悩みや葛藤の絶賛真っ只中の際は

スピリチャル能力爆発の師匠(住職)は
もちろん私の心境を手に取るが如く読み取る

が、しかし
助言をくれる事は一切無かった

相談をしたこともあったが
「 それも修行だな! 」のひと言

師匠に「こんなに苦しんでいるのに!」と
反発したくなる事もありました

それすらも、読み取られ
自分の心の居場所が無かった

そういった苦しみの底にたどり着いたら
師匠から必ず日常とは違う特殊な仕事の指示が出る

ある時

「 ここからあそこまでお寺の敷地だから
  樹木に巻きついたいる蔓(つる)を
  今日一日ずっと切ってくれ!     」

そう指示を朝イチでもらいました。

斧と鎌(かま)を
片手に恐らく数万本も樹木の蔓を切って回る

鎌(かま)

巨木や幼い木に巻き付いた
大なり小なりの多種の蔓を
自棄(やけ)っぱちに斬りまくった

夕暮れも近付き、どれくらいの蔓を斬ったのだろうか

ふと、ある事に気付いた

蔓は木の成長を妨げ、時には樹を枯らす事もある
ブロック塀やフェンスも蔓の影響で
倒壊することもある

もちろん蔓性植物が悪いわけでもないし
蔓性植物を庭で日除けや目隠しなどの活用してるひともいる

つまり
自分の執着や不要なこだわりが
自分自身も成長を妨げている
執着もこだわりもコントロール出来れば
何かに活用できる

そのことに気付きました

その瞬間、暗闇の中
先方に光が射し込むように心が軽くなり
渇いた心に潤いを感じました

蔓性植物

その直後、作務衣を着た師匠が近付いてきて
「どうだ、何か解ったか?」と静かに訊かれ

自分の気付きを伝えると
「そうだな、よく気付いたな。
 また今度 続きはすればいい
 勤行(1時間ほどお経を読む)をするから
 衣(ころも)に着替えなさい」
と去って行き二人でお経をあげる。

世間的な言葉を拝借すれば
これがいわゆる【悟り】なんだと
今は思えますが当時は気付かなかった。

このような事は幾度もありましたが

またある時は、
最多勝利数を獲得したプロ野球投手がシーズンオフに
精神修行の為に来寺された時など
事もあろうか

「お前たちは同じ歳だろう、
 二人であの場所から庭木を軽トラに乗せて
 ここの庭に移植してくれ!」

最多勝利の年俸数億円の超一流プロ野球投手と
車検もやっと通るかぐらいのオンボロの狭い軽トラに
スコップ2本とロープを荷台に積み込むふたり

「大丈夫ですか?すみません、こんな事させて」

【大丈夫!この作業を住職が指示するって事は
 何か意味があるんじゃない。
 まあ、やってみよう!】

と揺れる軽トラの中の会話

エッサホイサとスコップで木を移植作業

移植作業の場合は根っこ周辺についている土も一緒に
木を移動するのがお決まりで
重量が半端なく重いのです

二人で何度、持ち上げても
軽トラの荷台に載せられないのです

そんな時に見越したかのように師匠から着電

「どうだ?」
【重くて二人じゃ無理です】

「2人で必ず
 その木は載せられるからやってみなさい!
 アイツ(プロ野球投手)にもそう
 伝えておきなさい」

その事を伝えると
彼は何か思い出したように私に伝え始めました

「 シーズン中に
  マウンドでピンチになった時に王監督から

【 自分の力を信じきれ‼︎
  このバッターを抑えて勝つことだけを信じきれ
‼︎
  みんな、そのことだけに集中しろ
‼︎ 】

とマウンドに集まるナインに言われた、そういう事だ‼︎

ふたりでこの木は必ず
軽トラに載せる‼︎って信じきってみよう。」

急に彼はマウンドの上のような真剣な眼差しに変わり

2人で心をひとつに集中

見事に軽トラで載せ移植した事もありました

その際も師匠は笑顔で軽トラを出迎え

「 どうだ?〇〇(プロ野球投手の名前)
  何がおまえに今、大事かわかっただろう 」

そんな事もありました


言葉で助言するのでは無く

自分で【悟りや学び】を体験を持って修得しなさい

そんな師匠でした

悩む→作業指示→悟りや学び→勤行

悟りや学びを終えたあとの勤行も
大きく洗われた心に保湿効果のようなもの

そして仏の智慧と導きへの感謝だったのだと
今ではわかります

そんな日々の修業を重ねていくうちに

悪しき自分の霊感の無くなり
幽霊をみることも金縛りなどほとんど無くなりました

あの時の苦悩は一種の好転反応だったのだと思います

好転反応とは? ~ こうてんはんのう ~. 
良い方へ転ずる時に起こる一時的な身体や状況の不調のことをいいます。

悪しき霊感が弱まった事と共に
スピリチャル能力抜群の師匠の影響なのか

私の悪しき霊感がスピリチャルなチカラへと徐々に
変化していったのです。

変化?進化?

進化のおける未体験な苦しみや試練との向き合いが
始まりました。

つづく、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?