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学校を休むという息子。行けと言えない私。

昨晩から、
「学校がつまらなすぎる」
と、毒を吐きまくっていた長男。

朝になって、
声をかけると、
「今日は行かない。休む。」
だそうで。

休むという長男に、
「それじゃ、学校に連絡いれとくね。」
で、朝のやり取りは終了。

ここで、
何かしら学校に行くことのメリットや、
休むことのデメリットなど、
色々、説得して行かせるがbetterなのかも
しれないけれど。


私には、できない。



息子は、まだ小学生。
これから、何十年も生きていく。
まだ、人生スタートしたばかり。
希望に満ち溢れて今を生きてほしい。

なのに、
まだ、10年ぐらいしか生きていない人が、
「毎日つまらなくて、つらい」
という。

何がそんなにつまらなくて辛いのか。
息子に聞いてみると、

やりたくない事をやらないといけない事が
多すぎる。

毎日、ずっと座って話を聞くのが退屈すぎる。

放課が少なすぎて、全然遊べない。

先生が疲れていて、イライラしていて
先生の顔色を伺わないといけないのが嫌だ。

ふむふむ。
幸い、いじめとかではなく、
とにかく自由がない。自由に振舞えない。
という事に尽きるのかな。
と推測する。

彼の話から学校の様子を
私なりに妄想してみる。

そもそも、一日何時間も、
あの狭くて小さい机と椅子に座るのが前提。
しかも、席は決められている。
けっこうな忍耐が必要だと思う。

勉強も、好きな授業を選べない。
ひたすら、決められたカリキュラムを
一方的に浴びせられる。
一番、身体を動かしたい年齢に、
主たる生活が、座る事になっている。
私だったら、寝ちゃうな。
もしくは、それが仕事だったら転職するかな。

うーん。これはしんどいかもしれない。

息子だけが、私だけが、そんな風に思うのか
というえば、そうでもなさそう。

私の知る範囲でしかないけれど、
学校が楽しすぎてしょうがない。
という子には、滅多に出会えない。
しょうがないから行っている。
という子のが多い。
一定数の子どもが、学校に満足していない
という状態ではないかと思われる。

今の学校の在り方は、
本当に子どもたちの為になっているのか?
社会の為になっていくのか?
と私の頭は思い始める。

今の時代、
職業というのは実に多様化してきているし、
個人の考え方・生き方も多様化してきている。
ここで、何が必要とされるか。
というと、
自分で考えて生きる力。選ぶ力。
だと思う。

社会に出ていくのに必要とされるスキルを
今の学校で身に着けていけるのか?
学校という組織があまりにも個人に対して
単一化しすぎていないか?
集団をまとめようとし過ぎていないか?
考える力、選ぶ力をそぎ落としていないか?

学校だけじゃない。
学校から一歩外へ出れば、

帰り道、彼らは寄り道すらも許されない。
道は整えられ、田んぼは姿を消し、
イライラしている時にイライラをぶつける
雑草すら生えていない。
蹴り飛ばす小石もない。
大人達の目は厳しく、
金属で編まれたフェンスにすら登れない。
公園には、ボールで遊ぶな。とかかれ、
いたずらできそうな空き地には、
良い子はここで遊ばない。
と書いてある。

とにかく自由がない。

そんな状況を鑑みた時、
もはや、
私は学校に行け。
と言えなくなって
しまう。

でも、
家で1人で過ごすのは、また別の意味で
過酷すぎる。
1人で過ごすためには、
相当にメンタルが強くないと
耐えられないと思うから。
だから、同世代のいる場所へ行った方がまだ
楽だと思うから。
いじめを受けたり、
ほとんど言葉を発する事のない時代もあった
私ですらそう思うのだから。

だから、
一日二日休んだら、
学校そのものではなくて、
学校にいる子ども達を思い出して、
息子を学校に送り出す。

学校でちゃんとする為でなく、
同世代の顔を見る為に送り出す。
それだけで、十分だと思うから。

先生には申し訳ないと思う。
先生方が背負っている仕事に対して
あまり協力的ではない考え方かも
しれないから。。

は~。
先生も、子どもも、親も幸せな学校。
あればいいのにな。
作れたらいいのにな。







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