たいがい起きている事に理由はないのだと思う

この人生を楽しむために
生まれて来たんだ。

この辛い状況は、
神様が私になら乗り越えられるから
って、与えられた試練だ。

と、

前向きな言葉を信じてみたり、
励まされて、
頑張っていた時もあったけど、

本当に辛い事が募ってきて
動けなくなってくると、

それでは救われなくなってしまい。

だから、こんな風に思うようになった。

何が起きても、
それはただ、起きただけで、
原因なんて、理由なんてない。
ただ、起きただけ。

起きている事の背景には、
思っているよりも
多くの人、要素、時が絡みすぎていて、
偶然の成り行きも大いにあって、
その膨大なデータをかき集めて、
明確な原因を特定するなんて事は、
多分ムリ。

「なんでこんな事になってしまったんだ。」

何度も、何度も自答して、
もがいて、苦しんで、
涙して、自分を傷めて、責めて。
半分、狂いかけていた。


ある日、
恐竜図鑑の付録DVDを見た。
すごかった。
すべてがそこに映っていた。

肉食恐竜が、草食恐竜を散々襲って食べていた。
最終的には、地球に隕石が落ちてきて、
肉食、草食に関わりなく、みんな死んでしまった。

ああそうか。ただ、起きてしまったんだ。

ああ、ただ、そうなってしまったんだ。

と思った。

恐竜たちの意志や選択など、関係ない。
ただ、食べられ、食べて、時が過ぎていく。
そこには、それが起きているという事実のみがある。
感情が入る余地など全くなかった。

地球に生きていた先輩たちの姿が、
生き物の基本のスタイルのような気がした。

だから、
この苦しみの意味や原因など探らなくてもいい。

ただ、こうなっている。

運がいいも、悪いもない。

ただ、こうなっているだけ。

ただ、飄々と生きる。
何がどうなっていても、
とりあえず、
与えられた命をひたすら生きる。

私たちはそれだけで、
「十分よくやっている」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?