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⑨遠慮や余計な相手目線より大切なこと  

遠慮って、(余計な)相手目線って、ほんとうは

自分やまわり、宇宙を信頼できていない証拠なんですね。


ほんとうに、信じられていたら…

たとえば芝犬が、おなかを見せて完全にゆだ寝っ転っているように

わたしたちも、きっと心ゆるし何だってできるはず。

“信じて”いたなら、怖さより愛をとって、自由に発信もできるはず。


でも、ここは自分で自分の感覚/直感を全信頼できてないと、

やっぱり本音からのどストレートな発信は、むつかしい。

“周りの、みんなの感覚こそ正解”と…

自分一人の意見なんて、抑えてと

まわりを立てて、自分の意見はすぐに引っ込める…

こうして、一日で10連投もしているのは

そんな枠も超えてみたくて、いっさいの相手目線をふり抜いた両極幅から

ほんとうの自己中心を見出すためでもありますが、

一部、割愛して。

だれもが、ほんとうの本音になると

“純粋な愛”にかえっていける
と思うんだ。

そう、誰もが

こころの中心を辿っていったなら、そこには愛しかなくなる。


でも、これが“遠慮”やヘンに周りとの調和を立てたりすると
“歪む” んですね…

ほんらい“まっすぐ”なものが、純粋な想いが伝わらなくなるというか、

「よけいな相手目線」という配慮で、歪んだかたちで届けるから
歪んで届いて
歪んだ現実がかえってくる
、みたいな…

***

どうして、自分(の本音)を隠しているのかな…?

でも、その視点や想いこそを、どこかで待ってくれている人がいて。

本当は、よろこんでもくれるはずなのに、

なぜか、自分から発信を止めてしまうような…

そんな、“余計な”相手目線はもうオシマイ♪

きっと、宇宙も待っているから

もっと、素直な本音こそ自由に表現して。

あなた自身と、本当のあなたを待ってくれている人たちのために、その愛の矢を

怖がらずに放っていかれてくださいね。

…いいか?

そのたくさんの傷は、自分を磨くため。
さらに磨かれるために、請け負った甘い蜜。

もう、随分まぁるく、ピカピカになれたのでは…?

おなじボール(ことば)でも、何の磨きもないそれでは
逆に、なんにも伝わらない。

たくさん傷ついて、磨いてこられたからこそ
まっすぐ伝わり、受けとられるボールってあるんだ。

…わかるか?

「傷ついた」ままで終わるな。

被害者意識など、つまらん。

『すべては学び』

どんな経験も、その愛の糧になると知っていたなら
それらは瞬く間にすべて、次へのメッセージとなれるだろう。

***

どうして、本音が言えないのか。

・嫌われたくないから?
・もし、間違っていたら…?

そうして、誰かの価値観を尊び過ぎることで、
人の笑顔ばかりを守ろうとするやさしさは

もう、いらない。


あなたは、あなたの笑顔を生きて

ただまっすぐ、本音を伝えるとき

「言ってよかった」

「わたし(の意見)には価値がある」

と変われるはず。


そうして、やっとまっすぐ伝わる現実があらわれ出したなら。

「あぁ本当に、あの相手目線はいらなかったんだな」とか
「ない方が、逆にうまく回るんだなぁ」と学べて

さらに、強く優しくなれる…

最初から、自己表現がうまい人なんてきっとどこにもいない。

だから、日々発信でトレーニングをしながら、もっと自分にまっすぐ生きて。

温度を感じる中心からのことばを、愛をもって放つことができたときに

自分の軸から生きられる、最初の第一歩をようやく踏み出せたことになるのです。

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究極「愛」をテーマに、自己愛/自分軸が自然と整え続けられる 日々の直感メッセージ、体験からの気づきを そのまま素直なことばで綴っています。…

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