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義母、死す

我が人生で唯一、恨みと関わった事への悔いは義母姉妹と義父だ。

パチンコ依存症の義父母との関わりで、一生をムダに過ごした。
事業の借入金の2割はこの連中のために使われ、20年以上の家庭内別居はパチンコ依存症が原因だ。妻の死後、預貯金は全て解約され、ボケかかった親のために使っていたのが解った。約1年間の介護をしていて、どういう気持ちだったのだろうか。虐待を受けて育つと、親と離れられないと言うことは本当のようだ。結婚は同情ではない。養育権を失い、養育費を払ってでも、離婚して縁を切っていたら、今とはかなり違った生き方をしていたろう。

多くの友人や、探偵社で身上調査まで反対をされていたのに、あの頃は母を喪い、いろいろと有って、まともな判断も出来なかった。


妻の死後、すぐに義父は認知症で寝たきりになり、半年で死亡した。宗教活動で人前に立つのが好きで、会長と同じ様にシルクのスーツや贅沢な物を持ち、新聞とか書籍とかを人に勧め、ろくに働かなかった。その恨みで更に義母はパチンコ依存症になり、子どもへの虐待もしていた。

義母も認知症で、特養ホームでヘラヘラと過ごし、周囲を不幸にした原因がノンビリと暮らしていることに腹立たしかった。10年間もノンビリ過ごし、娘が見舞いに行くと、楽しそうな姿で写っていた。

死に顔をみて、急に力が抜けた。化け物の老婆の顔で、あの夫婦の宗教で言う成仏の相では無かった。地獄へ落ちる三途の川の、まさに最初の責め苦の奪衣婆と懸衣翁に会ってるのだろう。よほどパチンコ依存症で有名だったのか、あの宗教団体の連中も、親族も近所の人も、誰一人来なかった。

反面教師とでも言うのだろうか、我が子供達も義弟の家族も、充分に自慢できるほどに育ってくれた。義父母も、方向を誤らなければ、良い夫婦で幸せな家庭を築けていたのだろうに。


数日間、力が抜けて眠れない。恨みも、多少は生きる力になっていたようだ。

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