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柿の木の雀たち

我が家に集まる雀達、少し気が弱すぎる。早朝に柿の木に集まっても、直ぐに追いやられてしまう。

ギャーギャーうるさい大きい鳥と、鶯色の雀よりも痩せて小さい鳥の群に、いつも追い出されてしまう。

少し離れた電線の上や建物の屋根の上で、「いじめないで、いじめないで」って鳴いてばかり。仕方ないから、今は小鳥用のエサを用意して塀の上に撒いておく。

子供の頃、祖父は木の実の取り方について教えてくれた。上は鳥用に残し、下は通りすがりの人が食べられるように残し、家の者は中間を取れ、なんて。今は庭の金柑の木には、取り切れないくらいの実が生っている。大きな圧力鍋を使って、2kgくらいの量の甘露煮にしたが、誰も食べないのでそのままになってる。

近所の人にご自由にと言っても、ほんの数粒取るくらいだ。ビワの実が生っても誰も取らない。

今朝は残り物の柿を、小鳥たちから4個奪ってしまった。かなり甘かった。

田舎の祖父の家には、茅葺き屋根に負けない高さの、大きな蜂屋柿の木があり、祖母が大きな樽で渋抜きをしてくれた。渋抜きが終わると出して並べ、下の方にあったトロトロになった柿は別に置いて、これはお前のだよ、と全部もらってきた。

あのトロトロになった大きな蜂屋柿が懐かしい。特に種の周りの、ゼリーのように成ったところが好きだった。蜂屋柿に似た物が並ぶときもあるが、あの巨大な大きさの蜂屋柿は見なくなった。

そういえば、あの頃は田畑に群れをなした雀がいたが、いまはソーラーパネルが並んで、雀のお宿もなくなり、少なくなった。心なしか、むかしの雀に比べ、痩せてきたようにも感じる。


かつて毛沢東は大躍進政策として、ネズミ・蚊・ハエ・雀を四大害虫として駆除をした。雀を徹底的に駆除し、殺処分した。雀は1年間に米を4kg食べるということだった。

雀がほとんど消えてしまい、穀物の収穫量は増えるわけだった。ところがイナゴや昆虫類が大発生して、大飢饉に陥り、5500万人が飢餓で亡くなった。生態系が変わったことで飢饉は収まらず、ソ連から25万羽の雀を輸入して、時間を掛けて生態系を回復したという。

あんなに小さくて可愛らしい子達、小鳥用のエサを持って外に出ると、チッチ、チッチと嬉しそうに話しかけてくる。むかしから「福良雀」という。ふっくらと太った雀は、豊作の証であり、吉祥文様になってる。最近の雀は痩せて小さく見える。数も減ったように思えるけど。


そうだ、今度は磯部温泉に行こうかな。

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