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物や言葉に惑わされない

ノンビリした老後で羨ましい、好きなことが出来て良いねえ、そんな事を良く言われる。1ヶ月か2ヶ月に1回は2泊程度の旅行に出かけ、温泉地を歩いてくる。今は保護猫2匹が家族に加わり、しばらくは1泊で我慢だが。片道2時間も掛けて温泉地の図書館や、小さな村の資料館にも行き、帰りは日帰り温泉を楽しむ。いかにも優雅な独居老人に見えるようだ。

63歳の時に妻を喪い、10年も経つと様々な煩いから離れ、一人暮らしにも慣れてくると、孤独もまた良いものだと思えてくる。何よりも自由で、行動も時間の使い方も、自分自身で選べる。好きな時間に起きて、眠くなったら寝て、食べたい物を作って食べられる。何を選ぶのかも自分次第である。

健康かといえばそうでも無い。持病の高血圧、それに加えて最近では冠動脈狭窄で数回の入院を行った。少し糖尿病予備軍とか、腎臓が・・・などと言われ、人並みに掛かり付け医に通ってる。他にも腰痛や脊椎間狭窄や頸椎ヘルニアもある。経年劣化は人も機械も同じ様なもの、自然の摂理なら仕方ない。もし病院通いを楽しんでいると、今のような自由は得られないだろう。

心臓で入院していて考えた。これから先、様々な病気や怪我で入院や治療を続けて、最終的にはチューブに繋がれて延命して、どれほど幸せなのかと。少なくとも自分の場合は、むかしの祖父母のように自然の「死」を望みたい。そう考えて「尊厳死の宣言書」と「遺言書」を書き、最低限の必要性から、内科の掛かり付け医で投薬のみにし、後は野となれ山となれの、自由気ままな生活を選んだ。

少しばかり時間が掛かってしまったが、こういう生活が出来る為の条件が整ったという事だろう。

第一に、年間に130万円という安定した収入が有る事。借金やローン等の返済が無い事。年金と仕送りだが、少ないと言えば少ない。我が身を窮山幽谷に根を下ろした松と思えば、これも一興であろうと割り切った。少ない金額を如何に管理するのかより、それしか無いと思い切れば良いだけのことだ。収入が安定すると、それに応じた管理が楽になり、煩いが無くなれば悲観することも少なくなる。光熱費や租税公課やスマホ等の通信費、入院時用の生保を引くと月に6万円も残る。猫ふたりの養育費を引いても、難しい生活では無いだろう。

第二に、住居が持ち家で、修繕の必要が無いくらいシッカリしていること。あるいはマンションでも、修繕の必要が無いような所が良い。突然の出費、それも高額な出費は居住費だと思われる。季節の変化による寒暖差や、身の安全のためにも、安心できる居住環境は必要な要件だろう。

第三に、適度な健康で、身の周りのことが自力で出来ること。とくに毎日の食事が、健康と家計に大きな影響が出てくるので、大事な要素だと思う。身の周りの管理には、当然ながら人付き合いも入る。必要以上の付き合いは煩いの元であり、孤独もまた慣れてしまうと良いものだ。反面教師の役しかないような者とは、早めに縁を切ることだろう。人生の大失敗は、存在価値の無いような人間との関わり以外無い。


金銭面では、時々言われるのが、経済的に恵まれているから出来るとか、奥さんが働き者だったから、生命保険が入った・・・、などということで、聞いてると頭が沸騰してしまう。

年金は自営の時の国民年金と、妻が外で働いたときの遺族厚生年金、合計で年間収入100万円弱程度。プラスして子どもからの仕送りはあるが、最低限にとどめてる。親としてのプライドかな。わずかに預金はあるが、葬儀代にもならない金額だ。なのでコロナ禍で流行りだした家族葬にして、自分の兄弟だけに連絡するように書き遺してある。

自営の借入金のほぼ2割は、妻の両親の生活費や、パチンコ依存症の返済に使われた。妻は実家の支援のために、外へ働きに出たが、家に給料の一部も入れたことはない。申し訳ないが、妻の死であの家と縁が切れたことで、精神的には救われた。ノンビリ暮らしてるように見えるらしく、生保が下りたのではと言われるが、悪縁に取り憑かれるとそのような余裕さえ無い。

妻の葬儀後に初めて知ったのは、こちらには多額の生命保険が掛けられていたが、自分は何も入ってなかった。金融関係なので、退職金はある程度まとまって支給されると言っていたが、義母のパチンコ代返済のために退職金の前借りもしていた。しかも老後のためにと蓄えていたわずかな預貯金さえも、全て消えて無くなっていた。


家計管理はあるていど把握しておかないと、意外と簡単に無くなってしまう。もともと日商簿記1級を持っていても、一度たりとも帳簿を開いたことが無い。自営の時に計理士さんから、その事を何度も言われたが、元来が面倒くさがりで、試験が面白かったから受けただけだ。ただ全くムダでは無く、1級受験の時に、会計学や簡単な経済学も学んだので、全体の把握に役だった。

具体的な家計管理は、全てスマホで行っている。全体の把握として「かけ~ぼ」というアプリを利用して、日々の出費を記録してる。一目1ヶ月間カレンダーの中に、出費額だけが表示される。集計として、いつでも何にどのくらいの出費だったかが解るが、カレンダーくらいしか見てない。このパッと見の把握で充分わかる。

金融関係では、それぞれの金融機関ごとのアプリで、年金収入と仕送り収入の二つを別に管理してる。別にするほど収入が多いわけでは無いが、年金だけでどの程度の生活が出来るのか、実験と思えば面白くできる。子供からの仕送りは趣味に使っている。

支出の方法は、現金はほとんど使用しない。現金で持つと、自分の性格として幾ら有っても直ぐに無くなるので。最初はスマホアプリの、SuicaやWAONなどのチャージ型がメインだった。特にSuicaは電車移動には便利などで、かなり使っていた。今は後払い式のDカードをメインにしてる。スマホのアプリを利用すると、使用金額など載ってるので「かけ~ぼ」に記録するためのレシートが必要ない。


建物の重要性だが、わずかな年金収入でノンビリ暮らせるのは、何よりも戸建て持ち家で、構造がシッカリしているからだろう。築50年を超えてるのに、地震に対して全くビクともしていない。

父が急遽建てたのだが、材木業を営んでいる、祖父の友人だった人に頼んだ。息子さん達は材木業と建築会社を営み、それぞれに成功していた。運良くというか、かなり豪華な家を注文していた人が、事業で失敗をして建築資材が残っていた。それを使うことになった。

建築工法はむかしの日本家屋と同じ、木材の組み合わせで建てていく。当時の建築基準法で、全てを木組みだけでは許可にならないからと、柱と柱は金具で留めてある。木の細工した組み合わせで、あんなのは無くても大丈夫なのにと言っていた。たしかに何回かの大きな地震の揺れがあり、強い台風も経験したが、何処にも問題は起きていない。

改築したのは一度だけ、風呂をタイル張りからユニットバスにしたときだ。その時に監督に来ていた責任者がベテランの大工さんで、興味を持って木組み構造の建て方を見ていた。一部柱がカビで崩れているからと、同じ太さの木材を持ってきて、端の加工は昔の日本家屋の継ぎ方にしたと自慢そうに言っていた。今の大工さんでは、こういう加工が出来る者が居なくなったとも言っていた。

老後の生活でもっとも大事なものは、一戸建て住宅の持ち家で、無借金であることだろう。当時はまだ借入金は残っていた。老後の生活費にと用意した預貯金の解約金が妻の貯金口座に残っていて、それを全額借入金の返済に充てた。他にも車のローンなども有ったが、1年ごとの雇用契約で働くことが出来て、70歳で完全に無借金になった。自営の時に気晴らしで取得していた、電気工事士1・2種、高圧ガスや消防設備など、その他多くの資格が役に立っていた。

持ち家で無借金なら、各種の光熱費や租税公課の支払いをしても、何となく暮らしていける。70歳で会社を辞めたのは、ローンの返済が無くなったことと、年金で暮らせるという見通しが立ったことだ。この間に、孫が大きくなって、娘の再就職が決まるまで、多少なりとも人並みの応援も出来た。ありがたいことに、70歳を超えても働けるうちはと慰留を求められたことは、別の意味での自信にもなった。


世の中には、老後の生活費には年金以外の預貯金が必要とか、子供達に迷惑を掛けないための死亡保険とか、いろいろと騒がしい。終活など面倒なことはしない。年金だけでは必要な物は買えなくなるのだから、過去に必要と思い購入した物はしまっておくことだ。自分が求めて入手したという、誇りを大切にすべきだ。たとえ散らかっていても、独居生活には関係ない。

趣味で購入した専門書の類い、大型段ボール箱12個分、40年前の総額150万円を優に超えていたのに、終活で古書店に出したら2万円だった。たまたまメルカリで見つけたのだが、23冊の全集のうち1冊が5,000円で売れていた。絶版になった洋書や中文書などは、それ以上の価格でもおかしくない。しかも数年経って、手放したそれらの書籍で調べたいことが出てきたが、図書館にも無いし、絶版で購入も出来ない。自分が欲しいと思って入手した物は、死ぬまで手放さないことだ。

子供に面倒は掛けさせたくない、周りに面倒を掛けてはいけない、などは考えない。自分自身を振り返り、親や親戚の中に全く何も面倒を掛けなかったという人はいるだろうか。全て順送り、次世代に面倒を掛けるのは、これからの生き方の教訓にも成ると思えば良い。


テレビの通販番組を見てると、口上がお見事で興味を惹く物が多い。それを買っていたら、年金だけでは暮らせなくなる。同じ様な物が無いか、先ずはジックリと持ち物を見ると良い。けっこう同じ物がある。探しながら考えると、無くても生活できないということも無い。老後は時間だけは幾らでも有る。便利さを求めること無く、ムダなことを楽しむくらいで良いのでは。

以前テレビで、年金が少なくて生活が苦しいと言って、安売りの納豆を大量に購入して、冷凍保存してる人がいた。政府の年金対策に対する批判のようだった。別の番組では、老夫婦がろくに外にも出ずに、ご飯と総菜1品で食事をしていた。食費はたしかに、年金額が少ないと直接ひびいてくる問題だ。でも、自分は現在96kgの体重だが、昔よりも食事量は少ない。時には1日2食と晩酌だけで充分であり、健康状態は維持できている。

食費の対策として、第一は外食はしないことだろう。総菜類の出来合いも買わない。出来合いは味が濃すぎて、なかなか食べきれない。二人の子育てで、弁当作りが長かったこともあり、調理には自信が有る。仕事の合間を見ては、調理や栄養学も学んでいたので、今はそれが最も役に立っている。少なく作っても、一人では多すぎるし、いつまでも同じ物だけでは飽きてしまう。調理済みを小分けにして冷凍すると、けっこう便利だ。

趣味で地方の立ち寄り湯に行き、その時に農産物直販所で野菜類を購入して、少し加工して冷凍保存してる。農産物直販所は安くて良いのだが、量が多すぎる。次に使えるように。嵩を少なくするために茹でたり刻んだりして、1回の使用量を考え小分けにして冷凍する。

肉類は下味を付けて、解凍して焼くだけにして冷凍する。焼魚も小分けして冷凍してる。煮魚類も、それ用の出汁醤油も良いが、一人では使い切れない。醤油・みりん・砂糖で煮るなら、余分な容器も少なく出来る。

次に衣服類だが、捨てるのも面倒で仕舞い込んだままになってるが、これが数年後には気分次第でまた使える。性格的に、一度気に入ったものはトコトン同じ物を使う方なので、むしろ買ったままの状態で奥に残っていたりする。


この様に一つ一つ当たっていくと、意外なほど老後の生活では、購入しなければならない物は少ないものだ。周囲の雑音や流行に惑わされずに、自分の好みのままに生きるのが良い。自分のライフスタイルを定めれば、それから計算すれば良い。

70歳で契約社員を辞めた時に、退職金だよ、などとけっこうな金額を子供達からもらった。本来なら半年分の生活費として使えるものを、数ヶ月の遊びで使い切った。有れば簡単に使ってしまうものだ。以後、息子からの仕送りは2万円にしてもらい、全額を放送大学とその他、学びという趣味で使うことにしている。時には足りないだろうという配慮から、かなり多額の振り込みがあるが、ほぼ翌月には使い切ってる。この事は内緒だが。お金の不思議さで、貯めるのは難しいのに、使うのは簡単にできてしまう。「お足」とは良く言ったものだ。

要は考え方一つかもしれない。一人で子育てをしなければならず、結果として調理の種類や保存法も覚えられた。自営をしながらなので、掃除や洗濯の効率化も考えられた。元来の、有れば使うし無ければ特に欲しがらない、そういう性格もあり、余裕などがあれば、周囲の声や宣伝で直ぐに使い切っていたかもしれない。ある程度の裕福な生活に慣れてしまうと、なかなか落とすことは難しいらしい。

パチンコ依存症と家庭内別居の功罪を思えば、功は老後生活において必要な知識や技能を、ほぼ全て学べた事だろう。罪の部分も老後の一人暮らしにおける覚悟が出来たことと、どのような自体にも応じられる経験と度胸が得られたことを思えば、大きな功と変わる。

そして何よりも頼りに出来る子供達二人が、それぞれに独立してシッカリとした生活を築き上げられた事だろう。自分自身のこと以外の憂いは、全て無くなった。


シッカリとした持ち家があり、借入金が無く、ある程度の健康で、生活対応能力が出来ていれば、年金が少なくても、暮らせないことは無い。目の前の物や、周囲の言葉に惑わされないことが最も肝要だろう。



長文だったけど、最後までお付き合いされた方は・・・居ない・・・かな。
3時間で、どの程度の長文記事が書けるのかの実験でした。
お付き合いされ方、つまらない内容でゴメンナサイ。

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