鬼望の道vol3.道場生について
2013年秋
僕はまた引き籠っていた。
夏休み明けの授業は始めは出ていた。
苦手な人付き合いにも取り組もうと同じ専攻内の同期にも話しかけたが、
会話を続けるほど考えが合わず馴染むことはできなかった。
この頃から自身が目標としていた教師という職業に対して疑問を抱くようになり、
逆に”麻雀を通して”
何か仕事ができないかと思いはじめた。
周りに相談しても
”反対されるか” ”麻雀なんてやめとけ”
のどちらかで共感してくれるものは誰もいなかったが、そのことでより一層
”麻雀を通して何か仕事をしたい”
という気持ちが強まった。
11月を迎え僕は大学に通わなくなった。
その代わり12月~2月までの長期休みを使い住み込みでの短期バイトを探していた。
大学の勉強よりも牌に触れたかったし、
何より道場に通いたかった。
〇会長(桜井章一の愛称)から
麻雀を認めてもらいたい。
〇雀鬼会のメンバーに入りたい。
この目標を達成することが生きがいだった
そんな中、
夏休みの道場通いでお世話になった
ニューロン本部から連絡が来た。
当時ニューロングループはフランチャイズ化を進めておりスタッフを募集する加盟店もあったため、どこかしら見つかる可能性があると思い交渉の最中だった。
話を聞くと関内の店舗が受け入れが可能とのことで、
道場がある町田との距離もそこまで遠くないし、通うには申し分ないと思いお願いした。
翌年2014年2月、
大学の休みと同時に僕は関内のお店にて麻雀スタッフとして約2ヵ月間働くことが決まり、勤務後、空いた時間で道場に通う日々が始まった。
雀鬼会の一員となる為に…
サイトにも書いてある通り、”存在力”というのが雀鬼会の一員となる為に必要な条件だ。
麻雀プロ団体に入る為の
筆記試験も無ければ、
実技試験も無い。
実力も千差万別で
上位のリーグで打つ選手はみな強かったが
下位のリーグにいる選手は点5のフリー程度
強さも必要だがそれよりも
リーグ戦やイベントに積極的に参加し
存在力をアピールすることが遥かに重要であるという風潮で、
いくら強くても利他的でない者や独りよがりの者は認められることはなかった。
道場と名乗る以上、
礼節や思いやりは特に重んじており
麻雀の強さよりも
”大きな声であいさつが出来る”
”人としての思いやりがある”
”麻雀に依存せず仕事や家庭を大事にすること”
など人間としてできた方がいいことが
第一とされていた。
2か月という短い期間であることや通える日が限られているため、少ない参加日数で出来そうなことを考えた。
その結果、
”道場生全員の名前と顔を覚えること”
”声は誰よりも出すこと”
を目標とし取り組むこととした。
2月上旬、約半年ぶりに道場の門を叩いた。
プー『おはようございます!!』
道場生一同『おはようございます!!』
初冬を迎え、
外は肌寒いというのに
道場は熱気で溢れかえっている。
決まりというわけではないが
道場内ではみな雀鬼流Tシャツを着用しており
大抵が半袖で過ごしているため、
この空間だけ常に夏の様相だった。
プロスポーツ選手でいうところ
のユニフォームであろう。
全員が雀鬼流Tシャツを着ることで一体感が生まれる。
僕はスタッフにあいさつした後
プー『Tシャツ売ってください。』
と購入。
すぐトイレで着替え、まずは形から入ることとした。
道場生とはどんな人種か?
道場生の名前を覚えるうえで課題だったのが人数の多さ。
数自体とてつもなく多いので片っ端から覚えようとするのは無理がある。
当時の道場生の層は大きく分けて3つに区分され、
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