ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密の致命的な欠点
※この記事にはファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密のネタバレを含みますので、本作を視聴してから閲覧することをお勧めします。
先日、ハリー・ポッターシリーズの最新作、ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密を観てきた。
このシリーズ、さすがのハリー・ポッターシリーズの空想の描く世界と、魔法生物を中心とした人間と生物の共存、協力が描かれており、世界中で高い評価を受けている。
このシリーズの良さとして、これまでのハリー・ポッターシリーズでは純粋な悪の存在としてのヴォルデモートに比べて、必ずしも悪と言い切れない、もう一つの正義とも言うべきグリンデルバルドの存在がある。この危うさが作品をより深く、また現実味のあるものとしている。
今回、グリンデルバルド役としてジョニー・デップに替わりマッツ・ミケルセンが演じることとなった。このハマり方がとにかく素晴らしかった。マッツ・ミケルセンの演じるグリンデルバルドは、まさにもう一つの正義というべき疑いようのない正義を自身の中に持っており、それが洗練された所作のひとつひとつに出ている。危険な思想とわかっている観客側でも、その立ち振る舞いの堂々さに魅了された人も多いのではないかと思う。
ただ、どうしても今作で気になった点がある。これはもはや、致命的な点かもしれない。それが、キリンの存在だ。
今作では、キリンという、人間の中でも純粋な心を持つ者を判定することのできる生物が出てくる。このキリンが、魔法界の指導者を選ぶ選挙において跪いた候補者を、次期指導者として選出するという展開になる。
このため、グリンデルバルドはこのキリンを一度殺して、魔法で自分の思い通りに操り、魔法界の指導者として人間と戦おうとした。
このキリンの存在が、今作、もしくはこのシリーズの致命的な欠点となり得るのではないだろうか。
これまで、グリンデルバルドはヴォルデモートと異なり力と恐怖で人々を支配する純粋な悪ではなく、混乱の時代の中で生まれたもう一つの正義として描かれている。この世界では、ダンブルドアが正義でグリンデルバルドが悪というような分かりやすい構図にはなっておらず、グリンデルバルドは恐怖で民衆を支配していない。あくまでも民衆の不満の捌け口としてのリーダーという形を取っている。
つまり、現実の世の中に限りなく近いような、いわば右翼と左翼のような関係性になっている。
ファンタスティック・ビーストシリーズの素晴らしさは、このような正義同士の戦いの中のグリンデルバルドの静かな恐ろしさにあったと思っている。
ところが今回、客観的な正義を判定する存在として「キリン」という生物が出現してしまった。キリンによって跪かれたダンブルドアが正義で、そうではなかったグリンデルバルドが悪、という判定が民衆の前で下されることとなった。
これでは、作品の良さやグリンデルバルドの怖さが根底から覆されてしまうことにならないか。子供向けなのでわかりやすい方向性として、ということはわからなくもないが、前作まで人心を掌握し時代の中で力を持った恐ろしい人間が、あそこまで簡単に屈することになるのはどうだろう。
もっと言うと、せっかく現実世界とリンクしていた正義vs正義の構造が、こんなにも簡単に崩れ去ってしまった。このキリンという生物は、本当に出す必要があったのだろうか。
このほかにもキリンにまつわって、例えばグリンデルバルドの殺したキリンが操られていたなら、ニュートのキリンもまた操られていた可能性はないか?それを客観的にチェックする方法は?そもそも生物が指導者を選ぶことに民主性はあるのか?魔法でコントロールできて客観的に確認する術がないにも関わらず生物に指導者を委ねられるほどに民衆は民主性を放棄できるのか…などなど、この時代とこれまで描いてきた流れ、作品の良さと照らし合わせても、このキリンの存在だけが本当にモヤモヤする。
だがまぁとりあえず、次作以降でまたひと展開あるのだろう。それを楽しみにしておこうかな。