ロジカルシンキングと政治思想における「対案を出せ」という言説の呪い

最近、SNSで政治思想を語る人をみていて感じたこと。仕事柄、ロジカルシンキングを鍛えた人、たとえばコンサルとかベンチャーに勤めた人や勤めていた人に多い意見が、「反対するなら対案を出せ」「反対するだけなのは脳がない」といったもの。主に、野党批判に使われる場面が多いと思う。

予め断っておくと、自分は野党に特別な思い入れがあるわけでもないし、サポーターでもない。ただ、政治思想を語るにあたって、この「対案を出せ」という意見は非常に強力であると同時に、他者の言説を阻止しようとする非常に危険なものでもあると思う。

この言説、記憶に新しいところで、橋下徹元大阪府知事の大阪都構想の中で橋下さんがよく言っていた。反対するなら対案を出してください、ないならどうするんですか?意見を出してください、という言説である。

正直、政治にそこまで詳しくない人は、これを聞くと、「私は対案がないから意見を控えよう」となるだろう。この状態になると、「理由なく反対する権利」が奪われてしまうのである。

これは非常に危険だ。なぜなら、「対案はないが反対する」というのも一つの権利であるはずだからだ。つまり、「案はないけどあなたが言っていることを実行するくらいなら現状維持の方がマシ」というのも。一つの意見なのである。

正直、学力が高い人や、人を説得させる立場の仕事をする人で、ロジカルシンキングを叩き込まれた人は、対案がない、ということに不満を感じる人が多いだろう。なにも考えていないバカが反対するな、反対している人は自分より知能が低い、と思う人も多いのではないか。確かに、ビジネスをやる上では、クライアントへの提案時に対案がない、あるいは複数のパターンが考えられていない、というのは命取りになる。
しかし、こと政治思想に関しては、そうではない。そのことを知っておくべきではないか。みな、一国民であり主権者である。対案がなくても、反対できる権利が全員に与えられている。極端な話、政治に詳しかろうが詳しくなかろうが、真剣に考えていようがいまいが、その権利はあるのだ。対案がないことにうしろめたさを感じる必要なんか1ミリもないのである。

対案を出せ、という呪いに惑わされないこと。特に、政治的な議論をおこなう上で、大切にする必要があるように思う。

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