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演劇女子部『眠れる森のビヨ』

1.はじめに

 これはBEYOOOOONDS主演舞台『眠れる森のビヨ』を見た感想文です。なので一応作品を見た人に向けて書いています。特に深い考察とかがあるわけでなく、単なる見た時の思いをつらつらと書き綴ってるだけなので、見たことある人が読んだ方が分かると思います。
 今後も見る予定がない人はともかくとして、これから見ようと思ってる人は読まないことをお勧めしておきます。
 ぜひ、Blu-rayで発売してますので視聴後にもし気になればまた読んでみてください。

2.BEYOOOOONDSと自分について

 BEYOOOOONDSを好きになったのは2020年の春。

 きっかけは何度も書いてますが自己紹介がわりに。

 2012年頃から所謂「アイドルに興味なかった人生だったけど、おじさんになってから突然アイドルにハマった人」として主にハロプロ中心におっかけておりました。少し目を離すと「アイドルは!」とか「楽曲は!」とか語り始めることで保身に走るタイプのどこにでもよくいる普通のロリコンです。

 その中でも最愛のグループがカントリー・ガールズでした。カントリーのことしか見ていない時期もありました。
 とは言え、ハロプロ全体が好きなことには変わりなく(当時)ハロプロの末っ子グループであったBEYOOOOONDSも当然知ってはいたけど聴く余裕がありませんでした。カントリーへの熱量、カントリーの紆余曲折に心が入り過ぎていた為に敢えて見ないようにしていた気もします。

 その最愛のカントリーが解散へ、推しである船木結さんの卒業、コロナの影響によるライブの延期や中止。色々なことへの意欲が下がりまくってる時期でした、あの頃は。もうハロヲタである必要もないし、ファンクラブも辞めようとか本気で考えていました。

 そんな2020年の春、BEYOOOOONDS「ビタミンME」のMVがおすすめに流れてきます。メンバー構成も完全に把握してない。曲もちゃんと聴いてきてない。でも、まあ暇に任せて再生してみることにしたのですが…

 「人生が一変した!!!!!」

 …とまでもいかないにしても完全にハロプロに出戻りです。後追いになるので過去の映像や曲を遡ったり、必死にメンバーを覚えたりとアイドルを好きになったばかりの頃の初期衝動が蘇ってきました。アイドル好き10年目にして、これだけ新鮮な気持ちになれるのは自分がまだまだ若いのかもしれません。いや単純に昔の記憶がないだけかもしれませんが。

 とにもかくにも、「BEYOOOOONDS楽しい!」「毎日楽しい!」生活がまた始まってしまい現在に至るわけです。

3.アイドルと演劇

 演劇女子部『眠れる森のビヨ』は2021年4月に上演されたBEYOOOOONDS主演の舞台です。9月になり待望のBlu-rayとして発売されました。

 東京まで見に行くことも出来なかったし、配信も見ることなく自宅で鑑賞できる日をずっと楽しみに待っていました。楽しみに待つ?うーん…というか実際はやや重い気持ちでもありました。何故だろう?

 過去にBEYOOOOONDS主演舞台として『不思議の国のアリスたち』と『アラビヨーンズナイト』があり、どちらもDVDで履修済みでした。元々、演劇には疎くて、好きなアイドルが出るからという推し補正付きでの鑑賞です。だから、いつも演劇作品を見るときは構えてしまうのかもしれません。
 もし、面白くなかったらどうしようかとか余計な心配ばかりしてしまう。大好きだからこその悩み。

 しかし、こちらの自分勝手な不安を吹き飛ばすくらいに両作品は力作で、笑いあり涙あり、もちろん歌や踊りもアイドルとしての魅力も満載の最高の舞台作品でした。
 最後にうっすら涙を浮かべてしまったのは「よく頑張ったね…」という保護者目線かもしれませんが、少なくともBEYOOOOONDSファンなら必見の素晴らしい作品でした。

 自分が見るまではネタバレは避けたい。森ビヨに関する情報はメンバーのブログも含めて極力避けてきました。それでも視界に雰囲気はちらりちらりと見え隠れします。その「ちらり」から漂ってくる空気が重いような気がしていました。それで今まで以上に心配していたのかもしれません。

 アリスもアラビヨも色々ありましたが最終的にはハッピーエンドです。舞台の世界を楽しんでるメンバーをこっちも楽しみつつ、成長する姿に感動していくお話。

 でも、なんだか森ビヨは違う気がする。なんでかは分からないんだけど。

 「眠れる森の美女」とかかってるのは一目瞭然。童話の世界と現代を行ったり来たりする物語かなと想像するくらいしかできない。
 あと、推しである島倉りか様のお姫様のようなビジュアルには期待が高まるな。悲劇であってほしくない。

 家族がいるのでアイドルのDVDは夜に見る。ボリュームを少し小さめにして。今回の森ビヨは家族が留守中の休日の昼間に見た。なんとなく一人きりの時がいいなと。あと、一人だから不要なんだけど音楽や台詞をしっかり聞き取りたいと思いヘッドホン装着で。

4.なんで涙が止まらないのだろう?

 最後まで見終わった僕は泣いていました。感情の疲労も凄かった。予想はしていたけど予想以上だった。単におじさんだから涙もろくなってるだけかもしれないし、大好きなBEYOOOOONDSだから判定も甘くなってるのかもしれない。
 感動の押し売りなんて大嫌い。「号泣した!感動した!」なんて言われたら、それこそこれから見る人だって敬遠してしまう。自分だったら周囲が感動すればするほど否定的になってしまうこともある。
 感動することを共有するのは単純だけど難しい。そもそも共有したいと思いがあるなら、吐き気すら催してしまうかもしれない。でも、その感動することや表現することの難しさについてもこの作品を通して考えた。

 上手く言葉にできないなら、もう一回見てみよう。もう一回見て考えればいい。丁度、一週間ほど経ったので再度没入してみることにした。やはり、家族の留守中にヘッドホンを装着して。

 結果は全く同じでした。

 展開を知ってるのだから冷静に鑑賞できるだろうと目論んでいたけど、全然それどことろじゃなかった。確かに伏線や最初に見過ごしてた箇所の気づきなど二回目ならではの発見もあった。
 だけど、初めて見たとき以上に涙が止まらなかった。結末を知っているからもっと辛くなったのかもしれない。

 過去にハロプロの舞台は二回だけ見に行ったことがある。

 研修生主演の『僕たち可憐な少年合唱団』とカントリー・ガールズ、つばきファクトリー主演の『気絶するほど愛してる!』。

 その時も、メンバーやグループのことは好きだけどアイドルの演劇って正直どうなんだろうか?まあ、生で推しを見れるから楽しいよなくらいの気持ちで臨んで見事に泣かされてしまった。
 大好きだから基準が甘くなってるのか、おじさんの涙腺がおかしいのかよく分からない。だけど、目の前でお客さんに楽しんでもらおうと健気に頑張ってる姿は美しいんだと思う。アイドルを応援してる時の基本というか。

 特に当時推しでなかった稲場愛香さんの演技に圧倒され、アイドルの底知れなさに驚嘆した。期待してなかったわけではないが、とにかく感情の伝わり方が凄くて涙が止まらなかったのを覚えている。
 で、その日の感動が仇になって、暫くこの舞台がトラウマになり大変な鬱を抱えることになるのだがそれはまた別の話。

 でも、どうしてくれるんだよ…というマイナスでもプラスでもないややこしい感情の重さがこの「気絶」の時と似てる。責任とってくださいという気持ち。
 とにかく余韻と色々と考えてしまう余白が大きすぎて言葉を整理できなかった。それでぐったりきてしまったのかもしれない。見る前にメンバーや既に体験した人から感じていた空気の重さの正体。

 『眠れる森のビヨ』を再生し、その危惧していた重さの正体が何であったのかを理解するまで時間はかからなかった。
 高校演劇部11人の青春群像劇を楽しみながらも、多分観客の誰もが必ずどこかのタイミングで「これは、もしかして…?」と不安を抱くはず。

 そう、嫌な予感を。

 いや、でも、まさかね…と、あってはならない展開を頭から必死に払拭しようとする。でも、その「まさか」は夢と現の間をゆらゆらと揺れながら観客の感情へ徐々に迫ってくる。

 誰かが死んじゃうの…?

 余命何日の難病で…とか、最初からお涙頂戴のお話って辛くないですか?卑怯だなと思ってしまう。簡単に死んでほしくない。実際の人間は簡単に死んでしまうからこそ。誰かの死があるから物語がつまらないとは言わない。だけど、死という事実が見えてくると僕は感情の扉を閉じそうになる。
 だから、いつでも「まさか」という気持ちで暮らしている。こんなに普通の生活が続いてる中で悲しい報せなんてあるはずないと。あるなら、ちゃんと予告してからやってきてほしい。でも、現実は隣り合わせにある。9月に突然亡くなった知人のことがまだ信じられない。

 ヒカル役の平井美葉さんのモノローグと感情たっぷりに歌い踊るミュージカルシーンとの対比。その明暗によって観客はぐいぐいと物語の世界に引き込まれていく。
 その世界の狭間で影となるのがヒマリ役の島倉りかさん。存在してるのかしていないのか分からない。ヒカルだけに語りかける夢のようであったり、世界の背景の一部のようであったりと変化する。暗闇を照らす消えそうで消えない蝋燭の明かりのようだ。彼女の存在が観客の心に問いかける。

 ここはどっちの世界?
 あなたがいるのは何処?
 そもそも現実に存在しているのは誰なの?

 その度に観客は深い悩みの底へと沈んでいく。答えを、真実を知ってしまっていいのだろうかと。どちらが幸せなんだろうかと。怖くて怖くてヒマリの顔を見ることができなくなる。

 童話「眠れる森の美女」が物語のベースになっているけれど、その物語は複雑に何層も重なり合って森ビヨの中へ挿入される。

 ラストは既に決まっているというのに。
 童話の世界のエンディングも舞台上で暮らす主人公たちの現実のエンディングも。

 物語のオープニングで奏でられるピアノ曲「祈り」からもう悲劇は既に始まっている。
 絶対に避けることはできないようになっている。
 いつか必ず終わる。

 「なんで?」という悲嘆の声。
 「もし、~だったら?」という仮定の夢にすがる声。

 「眠れる森の美女」という童話の世界での出来事が様々な局面で形を変えて、それは登場人物の気持ちとなり、時には台詞となり、正解の存在しない問いの答えを何回も何回も観客に求めてくる。
 そんなの決めることできないじゃないかと途方に暮れてしまう。誰が本当に正しいのだろう。誰が本当に生きているのだろう。
 全て夢だったり、童話の中だけの話だったりすればいい?

5.物語と現実と

 『眠れる森のビヨ』を鑑賞するのは基本的にBEYOOOOONDSのファン。勿論、僕もそう。だから、どうしてもこの物語に別の物語を重ねてしまう。

 BEYOOOOONDSは2019年の夏にメジャーデビューする。その勢いに乗って暮れにはファーストアルバム発売と初ワンマンライブとステップアップしていった。レコード大賞新人賞も受賞する。そして、2020年春にはサンプラザ単独公演と全国ツアーが決定していた。
 過去のハロプロのグループがメジャーデビューした時もそのスピードや規模に違いはあれど、だいたい同じような過程を踏む。どのグループも最初の勢いというのはファンも含め、どんな時期よりも光り輝いているし、文字通り一回しか体験できない時期。
 もちろん駆け上がった後の展開は一筋縄ではいかず、その先が苦しく困難な道を歩むアイドルもいるけど、それはまた別の話である。少なくとも彼女たちの2019年から2020年は絵にかいたような順風満帆そのものであったことは間違いない。

 今年の8月に発売されたBEYOOOOONDSのオフィシャルブックの第2集。

 2020年のコロナにより、当たり前のように(彼女たちの努力は当たり前でなく大変な努力である前提で)行われる予定だった中野サンプラザ単独公演と全国ツアーは中止になった。もちろん彼女たちに限らず世界の至る所で当たり前が当たり前ではなくなった。
 それでも2020年の間はいつかまた出来るだろうという望みの中で彼女たちは様々な発信をし、限られた条件の中でのライブやWEBでの活動でもファンを楽しませ、また個々の技術を磨いて類まれなる個性的なグループへと成長していった。

 コロナのお陰で、とは言いたくないけれど、その渦中で意気消沈していた僕は彼女たちの笑顔に助けられた。あのままの以前と変わらない世界だったらBEYOOOOONDSのファンになっていなかったかもしれない。少しは聴いたり見たりはしたかもしれないけど、ここまでの拠り所にはならなかったし、舞台までDVDで追っかけたりはしなかったと思う。

 2021年になっても状況は一変することなく、相変わらず重い空気が漂っていた。
 3月には新しいシングルも発売できた。悪いことばかりではない。でも、結局のところモヤモヤと先の明確に見えない4月にこの舞台は上演されたのである。

 オフィシャルブックの中でメンバーが一様にホールワンマンと全国ツアーの中止を嘆いてる。ファンの悲しみ以上の深い深い悲しみがあるのは間違いない。現時点でまだそれが実現できていないのだから。当たり前に続くと思った日常がある日突然になくなってしまう。アイドル生活だけでなく、学校や家族、普段の生活の中でもそれぞれ何かが変わってしまったかもしれない。

 その状況を踏まえた上で選ばれた物語だったのか、単なる偶然なのかは知らない。いずれにせよ、演じるのが辛くて難しい舞台だったんじゃないだろうか。
 開催されるはずだった、みんなで頑張って向かったブロック大会。演劇部全員の夢。夢は夢のまま覚めない方が幸せなんて残酷な現実。台本をメンバーはどんな気持ちで読んだのだろうか。
 練習期間も長くはないはず。それでも、前向きに取り組み、こんな素晴らしい舞台を完成させたのかと思うと更に泣けてしまう。BEYOOOOONDSファン故の感情だからかもしれないけれど、結果的に全然そんなのが関係なくなっているんじゃないかとも思う。逆にBEYOOOOONDSを知らない人こそ見てほしいと思いもする。

 極端な言い方をすると、前2作の舞台はどんな役を演じていてもそこにはBEYOOOOONDSのメンバーの姿が見えた。それぞれのカラーに当てはめたような配役で、いつものメンバーの顔がそこにはあった。

 しかし、今回はほとんど見えなかった。

 もちろん、ヒマリは僕の大好きな島倉りかさんそのものだったし、ヒカルはいつもビヨで見てる平井美葉さんそのものだったけど、その事実を本気で忘れてしまうくらい本物のヒカルとヒマリだった。

6.演劇部のみんなが愛おしくて

 どちらの世界が夢でどちらの世界が現実なのかを考えながら物語を追いかける。最初の違和感はヒカルだけにしか見えてないヒマリの存在。
 まるで幽霊のようにしか見えないヒマリに対して演劇部のみんなは青春そのもので、不器用にぶつかりながらも過ごしていく日々は愛おしく、どう見ても現実にしか見えない。

 「今」しか存在しない儚い夢のような時間だけど、もしかしたら永遠に続くんじゃないかと錯覚してしまうような青春の日々。それを彼方から見つめているヒマリはきっと何か悔いを残したままこの世を去ったんじゃないかと最初は思っていた。
 前半でヒカルが対向車線を乱暴に運転する車に驚いて転ぶ場面。嫌な予感しかなかった。

 途中、何度も挿入されるヒカルの見る悪夢。
 間違いなくヒカルは知っている。
 知っているけれど思い出すことができない。
 忘れてしまってるのではなく思い出したくないくらい辛いこと。

 僕はもしかしたらヒカルだけがこの世に存在してないのではないかとも考えた。全てヒカルの夢の世界。現実にはヒカルはもう存在してないのかもしれないと。

 「また明日!」と笑顔で別れ、当たり前のように訪れる新しい朝の繰り返し。その途上で見る様々な夢が複雑に交錯して徐々に現実の世界がぼやけてくる。

 夜の闇は非現実の世界なのか?朝は本当に朝、始まりの時間なのか?

 そもそも観客が目にしている舞台上の世界も非日常な演劇、ある意味夢の中での出来事だ。

 中盤以降、「同級生」として「幼馴染」として存在していたヒマリの声が変化していくように感じた。明らかに答えを知っているような問いかけ。

 屈託のない幼馴染の同級生の笑い声が少なくなっていく。
 必死に訴えていながらも絶望の底にいるかのような諦念。
 言葉でなく叫び、泣いているような。

 まるでヒカルに置いて行かれるのが嫌で駄々をこねていた子供のころのヒマリちゃんのように。

 それに反するかのように演劇部のみんなの高揚感や団結力はどんどんと上がっていく。やっと辿り着いたブロック大会へ向けて、みんなの幸せな明日へ向けて。期待に溢れている。

 しかし、どこか後ろめたい罪の意識が垣間見えるようになる。

 前半とみんなの表情も違ってきてないだろうか?明るく元気な三人娘ノゾミ・カナエ・タマエも心なしか恐ろしい顔になっている気がする。強引に引っ張ってでも無理やりどこかへ連れていこうとしている。
 でも、ノゾミ・カナエ・タマエの熱演が物語をなんとか悲劇から遠ざけてくれていた。三人の台詞や行動に何度も笑った。
 いつもと同じことばっかりしていたらダメなんだ、負けたくないでしょ?勝ちたいでしょ?という前向きな気持ちがあるから他人と衝突してしまう。だから、喜劇をやりたいんだよという思いが必要以上に重い意味を持つ。

 ノゾミ役の山崎夢羽さんがとてもよかった。
 「不思議の国」アン役、「アラビヨ」のシェヘラザード役。どちらも、想像ではあるけれど、普段の夢羽さんに近い役どころだったように思う。だけど、今回のノゾミは普段の夢羽さんとちょっと違う気がする。でも、本当に演じるのが上手いなと感じるほどに役に入り込んでいる。役者揃いのビヨの中でも一番かもしれない。
 最初に見た「不思議の国」に感動して泣いたのは間違いなくアンの演技だった。ノゾミが悪態をつけばつくほどにノゾミのことが可愛く見えてくる。本当だったら嫌がられたりするはずなのに。暴言の裏に隠れている優しさをしっかりと夢羽さんは演じきっていた。

 ノゾミの脇を固める里吉うたのさんのカナエ、高橋くるみさんのタマエの演技が物語をリズミカルに転がしていく。女子高生の調子の良さ、ふざけてるようでとっても真面目に取り組んでいる姿。真面目になるのが恥ずかしくてわざとふざけたり。楽しい青春の日々の象徴。

 前田こころさん演じるツムギも重要な存在。「アラビヨ」の時のシャハリヤールとは対照的な役どころ。
 ヒカルが現実世界でヒカルであるために欠かせないパートナー。ノゾミのような大きな声は出さないけれど、確実に物語を大きく動かしていく。ヒカルとの友情が深まれば深まるほどに現実が残酷な姿となって襲ってくる。とても辛い。
 ヒカルが夢から覚めたくないと願う一番の要因は、もしかしたらツムギの存在なのかもしれない。ヒカルとツムギとヒマリの三角関係は一番悲しい現実だ。

 西田汐里さんの夢子。「夢」という字が象徴してるかのような存在。
 劇中の「眠れる森の美女」の美女は夢子が演じる。しかし、ジャケットやパンフレットで使われるイメージ画像の美女は島倉りかさん演じるヒマリ。この関係だけは本編を見ないと分からなかった。
 そして分かってしまうとまた複雑な気持ちになる。例えば、実際のところは分からないけど少しだけ触れられる夢子のヒカルへの淡い恋心。

 台本を書いたヒカルだって自分と夢子を主役に置くのだから満更ではなかったのかもしれないと想像する。演劇部での恋愛模様。
 そこに重なる当時小学生だったヒマリの夢子への嫉妬もあったかもしれない。大好きなヒカル兄さんを取られてしまう。所詮、幼馴染の小学生の恋心かもしれないけれど、この三角関係も物語の終わりを知っている観客には切なく響く。
 夢を壊してしまったのは全てヒマリの強い思いなんじゃないだろうかとすら思ってしまう。現実がそんな簡単に動くことはないはずなのに。

 だけど最後を知っているから悲しくなる。好きになることが。

 江口紗耶さん演じる山上部長と一岡伶奈さん演じる浜田先輩。男役を演じるのはとても難しいと思う。でも、本当に面白いものでピッタリと役にハマっている。普段の江口さんを見ていても時々山上部長に見えてしまう。一岡さんはもし彼女が男性だったらこんな感じじゃないかなと思うくらいそのままに見えてしまう。
 ヒカル、ツムギ、部長、浜田先輩と個性の強い男性役が四人。これをどう見るかだけど、この四人の男の子たちがいることで、悲劇となる物語がしっかりとエンターテインメントとして成立しているような気がする。
 少女漫画に出てくる男の子たちみたいなキャラクター。やっぱり、どんなストーリーであっても見て楽しんで面白くなる要素があるのがアイドルの舞台だと思うから。
 山上部長と浜田先輩の物語には出てこない苦悩。もし、見ることが叶うならば、そちら側の視点からも見てみたかったなと色々想像してしまう。

 岡村美波さんのユッコと清野桃々姫さんのショーコ。フレッシュな一年生部員を演じる。若くてフレッシュで希望と不安にあふれた新入部員と考えるとなんともいえない気持ちにはなる。
 ただ、普段のビヨの時と同じ、健気な明るさには救われる。岡村さんは他の舞台でも普段のみいみのようで愛らしいけれど、ちょっと違う役柄やそれこそ主役で見てみたいとは個人的に思う。

 小林萌花さん演じるネネ。彼女のピアノ演奏はビヨの強みの一つ。役だけでなく実演できちんと劇伴として成立する。音楽だけでなく、登場人物の関係もしっかりと繋ぎとめてくれる。

 あと、今回の舞台はビヨのメンバー以外の出演者がいない、12人だけというのもとてもよかったと思う。良いとか悪いとかでなく12人だけだったからこそ演じきれた部分もあるし、この作品の強さにもなったのだと思う。
 悲しみという大きな主題を支える強度がこの舞台にはしっかりとある。
 BEYOOOOONDSの今が全部あるから、今が本当に美しく愛おしい。

7.永遠になればいいのに

 「夢」の中で生きること、目覚めない方が幸せなこともある?

 「眠れる森の美女」の台本の結末に悩むヒカルに対し、ツムギも夢子もしきりに眠り続けることを勧めてくる。そんなことをしたら物語が破綻しちゃうじゃない?と躊躇しつつも、もし100年後の世界に一人で目覚めたらと想像したら孤独に耐えられないなあと悩む。

 夢の中の幸福な世界へと気持ちが傾いていく。

 100年も眠り続けた王女が王子の生まれ変わりである青年のキスで目覚めて二人は結婚し幸せに暮らしました、ではなくて夢の中の方が幸せだったんだから!もう一回寝させてよ!と劇中劇の「眠れる森の美女」は喜劇のようなエンディングを迎える。
 席は茫然としたけれど、その斬新さもうけて演劇部はブロック大会へと駒を進める。

 ここでも夢と現実と舞台は混在し、求めようとする真実を曖昧にしようとしてくる。

 答えは単純なものではない。
 それは分かる、分かるんだけど。
 幸せに近づけば近づくほど不安が増してくる。

        永遠に なればいいなぁ
        夜が 明けなきゃいいなぁ
        ここに みんながいるよ
        僕も ここにいるよ
        幸せと 手を繋ごう

             「永遠になればいいのに」

 

 主題のように何度も繰り返される
 「永遠」と「夜」と「明日」
 「僕」と「みんな」と「幸せ」

 これは、とあるなんでもない一日の物語なのかもしれない。
 楽しい時間が終わり、やがて夜になる。「また明日!」を約束して目を瞑れば、やがて訪れる新しい朝。そして、また当たり前の日々が続いていく。

 だけど、誰もが不安を抱えている。
 小さかった頃に一人眠るのが不安で、暗い夜の闇に押しつぶされそうになりながら夜明けを待ったこと。
 大人になり、明日なんか来ない方がいいや!いっそこのまま眠り続けられたらどんなに楽かと自棄になったこと。

 そして、誰の人生の上にも「永遠」という言葉は存在しない。
 いつかは終わる。

 ヒカルと同じようにいつか気づいてしまうのだろう。

 物語が後半になると現実が夢を打ち破ろうと必死に叫ぶ。
 こんな残酷な結末を僕は目にしなければならないのだろうかと思うと涙が止まらなくなった。

 生き残ってるのはヒカルだけだった。
 演劇部のみんなはもう誰もいない。

 ぐちゃぐちゃに乱れた髪の毛でヒカルの顔は覆われて、表情が全く見えなくなってしまう。でも、どんな表情を見せてくれるよりもその「暗闇」の方がヒカルの気持ちを代弁していたのかもしれない。

 顔が見えないのはとても辛い。

 みんなの呼ぶ声を必死に断ち切ろうとする。

8.島倉りか様

 「あの頃」のヒカルと同じように17歳になったヒマリと夢から覚めた22歳のヒカルが病院で会話する様はびっくりするくらい静かで平和だった。

 

 やっと現実の世界に戻った安心感。
 ハッピーエンドではないが。 

 

 でも、よかった。
 これでよかったんだと自分を納得させる。
 よかったねって言いたいから。
 よかったねと声をかけてあげないと誰も救われない。
 ヒマリが可哀そうだよ。

 ヒカルとヒマリが過ごした5年間とこれからのことを考えると震えが止まらなかった。100年の眠りがずっしりと重みを増してくる。
 17歳のヒカルにとっても当然支えきれないくらいの重い出来事、ましてや12歳のヒマリちゃんはあの事故をどう受け止めたんだろうか?
 子供心に自分がヒカルに行かないで!と駄々をこねたからと責任を感じてしまったかもしれない。

 だけど、ヒマリは必死にヒカルを看病し続けた。手を取り救い出そうとしていた。更に自分もヒカルと同じ演劇部に入部する。必死に現実と向かい合おうとしている。

 ヒマリちゃんは島倉りかさんだ。自分の推し。贔屓目もあるとは思う。

 でも、やっぱりヒマリを演じた島倉さんは凄い!

 この舞台を見てたくさん感動して、たくさん泣いたけど最終的な感想は島倉さん大好きだ!!という推しへの強い思いだったもの。
 もう、抱きしめてあげたい!(実際に抱きしめたら捕まります)と思うくらいに。頭をよしよしと撫でてあげたい(お金は支払います)よ!

 難しい役だったと思う。演劇部員11人と「その他」という立場も辛かったと思う。ヒカルを救うためには他の部員たちに対し悪役に徹しないといけない。
 甘えん坊のヒマリちゃんであったり、ヒカルを救おうとする強い女の子であったり。
 最後の病院のシーンも本当のエンディングじゃない。あそこで簡単にこうでした!と終われるわけはない。あそこから考えることを始めるのだ。

 Blu-rayには千秋楽のカーテンコールが収録されている。最後の最後にあれがあるから本当に終わったんだと安心できた。ゴールとスタート。

 BEYOOOOONDSで本当によかった。

 『眠れる森のビヨ』を見て僕は大好きな島倉りかさんのことが更に更に大好きになってしまった。愛が深まった。
 絶対浮気なんかしない(え?)し、もう頭の中は今まで以上に島倉さんのことでいっぱいだ。

 そして、BEYOOOOONDSのことが何倍も大好きになった。本当に12人のことが愛おしくてたまらない。全員のことを力いっぱい抱きしめてあげたいと思う。

 この舞台はBEYOOOOONDSのことを知らない人にも見てほしいと書いたのは本当にそうだけど、これはもうBEYOOOOONDSのことを大好きな人が見てBEYOOOOONDSへの愛を更に深めるための作品なのかもしれません。

9.オマケ「可愛い島倉りか様」



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