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【洋画】「ベルファスト」《第4章》 固い絆で結ばれた、ある家族の情景

(↑トップ画像)豪華キャスト陣に魅せられ、なんど観たか知れない青春映画の傑作「横道世之介」(沖田修一監督、2012年)の最終盤に登場する子犬。

宗教は国家権力につぐ<第4の権力>に成り上がったか

前章にちょっと付け加えておきたいことがあります。
 
それは、たとえてみれば、カトリックは頑迷な老人であり、プロテスタントはときに過激な青年であるかのように書きましたが、プロテスタントはそれほど清新な宗派なのだろうか、時間がたつにつれ、同じく頑迷な老人になってしまったのではないか、という疑問が頭をもたげてきたのです。
 
というのも、トランプ政権の誕生に熱狂したキリスト教福音派は、プロテスタント系非主流の保守強硬派で、アメリカ国民の約25%が信者であるということに思い至ったからです。
 
また、バイデン政権もキリスト教福音派の巨大な集団をどうも無視はできないようで、これではどこかの島国と同じように、宗教と政治は深く結びつき、政教分離のタテマエなど有名無実化しているのではないかと思うと、ゾッとします。
 
国家の司法・立法・行政の3大権力に続いて、<メディア>が第4の権力と言われ続けてきましたが、<メディア>が弱体化するいま、実は<宗教>こそが<信仰の自由>をタテに守られ、勢力を伸ばしてきた<第4の権力>ではないか、と思えてきます。

残虐な独裁者プーチンとロシア正教は、互いにすり寄る<神権政治>によって国民を統合し、全体主義国家を築き上げ、ウクライナ侵略を正当化した。(『ろくでなしのロシア』講談社刊、2013年)

造船の街ベルファストと京浜工業地帯の子どもたち

さて、本題に入りますが、映画「ベルファスト」は、ケネス・ブラナー監督の少年のころの記憶が主人公の小学生バディに投影されていたと思われますが、これが実に生き生きと描かれます。

映画「ベルファスト」より

映画冒頭のシーン(上の画像)は、戦争ごっこなのでしょう、ごみ箱の蓋を戦士の盾に見立て、棒きれを剣にして振り回し、少年は、相手に勝った!と喜び勇んで叫ぶ――。
 
このバディ少年たちを観ていて、写真家・土門拳さんの『昭和の子どもたち』(※傑作ばかりですのでネット検索でぜひご覧に)の中の棒切れを持ってチャンバラごっこをする少年たちの路上スナップとそっくりだなと思いました。
 
あのころはみんな、住む家は狭く、テレビなんか高嶺の花、雨が降る日は、誰かの家の軒先で貸本屋から漫画を借りて回し読み、晴れれば晴れたで、路地に集まっては、男の子はメンコ、ビー玉、ベーゴマに熱中し、“戦利品”は家に持って帰ると親に叱られるので、お寺の大木の下に空き缶にしまって埋めておいたものです。
 
小学校も高学年になると、京浜工業地帯の工場空き地で、人数が足りないので三角ベース(二塁はなく、本塁、一塁、三塁だけ)の野球を始め、軟球に竹バットで日が暮れるまで駆け回り、女の子と言えば、路地にむしろを敷いてままごと、ゴム段や石けり、白墨で道路に絵を描く、フラフープで遊ぶ、なんてことをしていました。
 
なにしろ、当時の親は戦争直後の生活を築き上げるのに必死で、子供にかまう余裕などなく、放し飼い同然だったのです。

少年の不安を打ち消す家族のユーモアとウィット

でも、「ベルファスト」のバディ一家は、家族の絆が強く、苦難に陥っても、それを乗り越えるエネルギーに転化していたように思います。
 
たとえば、ちょっと離れたところに暮す祖母(扮するは名優ジュディ・デンチ 次回詳述)がバディたち母子にユーモアをまじえて、プロテスタントの暴動に触れる場面があります。

祖母(右)と母(左)が語り合うのを聞く弟バディ(左奥)と兄(右奥)。(映画「ベルファスト」より)

祖母:(プロテスタントの暴徒に)襲われたの?
母 :いいえ、襲われたのはカトリック教徒の家だけ
祖母:彼らが何か迷惑を?
母 :まさか、みんな友達よ。宗派が違うだけ
祖母:そうよね。私の近所の仲良しはインド人よ。一緒に炊き出しも。カレーをご馳走になって……1週間(おなかが)ピーピーに(笑)
(バディたち全員が笑う)

また、映画の後半で、バディ少年がクラスの少女の家を訪ね、ほのかな恋心を伝えるため花束を渡すと、少女もお礼の品をくれます。
バディは、外の通りで待っていた父親に告げます。(下の画像)

映画「ベルファスト」より

バディ:あの子と僕は結婚できる?
父  :できるさ
バディ:彼女、カトリックだよ
父  :あの子がヒンドゥー教でも、バプテスト派でも、反キリスト教徒でも、優しくてフェアで、お互いを尊敬し合えれば、あの子もあの子の家族も大歓迎だ……待てよ、そしたら俺らも懺悔に?
バディ:たぶんね(笑)
父  :そいつは困った

わたしは、こうした祖母と母親のやり取り、父親のセリフを聞いて、うらやましく思いました。
どちらも、少年の不安をなだめてくれ、ユーモアやウィットで温かく包み込んでくれるのですから。
 
そんな大人(たいじん)の態度を示してくれる肉親が昭和の子どもたちにいただろうか。
そう考える一方で、会話は乏しくとも、一家団欒の風景を少しは持てたことに想いを馳(は)せるのです。
 
(つづく)

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