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四方投9

(承前)胎蔵曼荼羅は、一切の生きとし生けるものに内在する宇宙の真理を説くもので客観的な原理である。大東流では「形」に相当する。金剛界曼荼羅は、自分たち人間が真理の世界に行くためのプロセスを説くものでシステマティックに構造化されている。大東流では、目録に組まれた「形」の配列のことである。

昔から、理法身は「従果向因(結果から原因をたどる原理)」といわれている。果とは、仏様の世界。因とは、凡夫の世界。であるから胎蔵曼荼羅は、仏様の世界から人間の世界へと向うことを説いている。大東流でいえば、個々の技のことをいう。金剛界曼荼羅は、「従因向果(原因から結果をたどる原理)」である。因の方から果に向う。人間の方から仏様に向うことである。大東流では、全体像をマスターすることで立派な武士になるということである。

密教ではこれら両部曼荼羅が一つになったとき、完全な悟りが開けるそれが理智不二(りちふに:絶対真理と完成された智恵は究極において同一である)」であるとする。大東流では、技とシステム(理論)が両方一つになったときこそ、完全な武将となるのである。このように大東流のバックボーンには密教の曼荼羅があったのである。

現在、実技とシステム理論を知っている大東流関係者は私(鶴山先生)以外にはいない。(完)

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