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合気と柔術1

鶴山先生はこのテーマに関しては、「手を替え品を替え」という感じでたくさんのメモを残しています。今回は比較的まとまっているものを紹介します。ところで、合気柔術には、柔術を簡易化した合気柔術と江戸柳生系合気柔術(合気道の原形)の2系統があることは、既述のとおりですが、皆伝の口伝であった合気陰陽法之事がわからないと、これら2系統の技術的な違いが理解できないのです。

大東流には「合気柔術」という専門用語がある。この言葉は他の古流柔術諸流派では使われていないものである。故に「合気柔術」は大東流独自の言葉である。大東流を名乗る人の中には大東流は合気柔術のみと思っている人が多いが、これは間違いである。そう思っている人、またその意味で文献などに発表している人は、自分の知っている範囲の限界を公にしているに過ぎない。しかもその「合気柔術」に2系統あるということすら知らない。合気道の原形と知られた合気柔術なのに全然違う(小野派系柔術を簡易化した別系統の合気柔術だから)ということに疑問を抱かない、大東流関係者が多いのである。
「合気柔術」という言葉が世間に知られるようになったのは、武田惣角の英名録で大正11(1922)年9月に植芝盛平が教授代理を許された際の資格が合気柔術だったからで、大東流合気柔術総務長武田惣角源正義の肩書きで合気柔術秘伝奥儀之事の目録を発行するとともに進履橋(旧会津藩 武田惣角源正義名)を伝授している。惣角はそれまで大東流柔術の名称で指導していた。盛平が北海道時代に習ったのは大東流柔術であって、大正5年に大東流柔術本部長武田惣角源正義の肩書きで柔術の目録を発行している。

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