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腰の廻りと江戸柳生躰之術(上)

合気柔術ではなぜ両手を持つのかについての鶴山先生のメモです。

大東流では両手持の稽古をする。例えば、大東流柔術第1か条30本中7本は両手持から始まる。時宗さんはこれを基礎技であるからと説明している。弟子の近藤氏は読売ホールで「大東流は1か条が30本あるのに、合気道は1本だけだ。」と主張したそうだ。しかし、この比較はおかしい、本当は小野派系柔術と合気道の原形である江戸柳生系合気柔術とでは、本質的に技法目的や技の性格が異なっているからである。小野派系柔術(大東流柔術)は合気道の原典ではないのである。柔術は第一線の現場で働くべき者(武者)の技法であり、合気柔術は参謀本部付(幕僚)の技法である。
合気道技法の第1か条の原典技法である合気柔術の第1か条は、柔術では一本捕に相当するが、中身が違うのである。柔術の一本捕は居捕と立合の二段階のみであるが。合気柔術では、居捕、立合、半座半立の三段階で、それぞれ序破急、さらに表裏があり、第1か条だけでも3×3×2=18本なのである。
さて、江戸柳生系合気柔術の技法は世襲制の中、老中、若年寄の後継者たる者を教育するところに特徴がある。世襲といっても、元服したからすぐに後を継ぐ、というわけではない。普通は親の仕事のポストに就くためにいくつかの段階のポストを歩かなければならない。現代なら、まず、係長・課長・部長のポストを経験し、営業・経営・工場等の経験を通じて経営者・取締役のポストに就くということである。西郷頼母の場合、最初に北大手門の番衆頭を務め、江戸家老横山主税常徳(よこやまちから・つねのり)の下に仕え、国家老になった後も江戸家老を兼務していた。

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