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沢庵和尚32

水上に胡蘆子(ころす)を打し、捺着(なつじゃく)すれば即ち転ず」のこと
水上に胡蘆子(=瓢箪)を投げ込んで手で押すとコロコロと回転して手元から逃げて何としても一所に止まらないという。このように達人の心は瞬時も物に止まらないのであって、水上の瓢箪を押すようなものだ。
補足説明:新陰流兵法では、同趣旨の事を斬釘截鉄の口伝として伝えています。

「まさに住する所無くしてその心を生ずべし」のこと
その事をしながら留まることのない心の状態を維持できる者が諸道の名人であると説く。とらわれるということは、猫に縄をつけて不自由にさせるのと同じである。猫をよく躾けておいて雀と一緒にしても雀を捕らないようにすることが肝要である。
少しも油断なく心を引きつめておく、これを敬の字の位という。主君の御意(お考え)を受け賜るときは敬の字の心がけが大切である。具体的には、後太刀で斬るときも、(相手の太刀を気にしないで)斬ることに集中することが大事。しかしながら、仏法では敬の字の位は至極のものではない。自分の心を他のことにとられ乱されないようにするための稽古法に過ぎないからである。この稽古を積み重ね、心がとらわれない自由なものとなれば応無所住而生其心(おうむ しょじゅう じ しょうごしん=本項目タイトル)の極意に達するのである。
剣術でいえば、太刀を打ちつける時は自分の手を忘れて斬るべし、人に心を置いてはいけない、人も・我も・打つ太刀も空と心得、空にも心をとられてはいけない。また、雷刀(上段)に振り上げ雷がピカリとする瞬間、心に何もなければ、打太刀も空をきり、打たれる我にも当たらない。我も何もないから風を斬る、そうすると手応えもなく勝つであろう。

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