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沢庵和尚36

自分だけ主人に忠を尽くそうと必死になっても、一家の協力、柳生谷一郷の民の協力がなければ何も出来ないでしょう。主人が善ならその近臣も皆善になる、その逆もしかり。国は善人をもって宝とするのだ。
貴殿は乱舞を好み自身の能におごり、諸大名衆に能を押しつけているようだが、それは病気だ。また、あいさつのよい大名衆を御前でとりなしているようだが、よく考えた方が良い。歌に・・・
心こそ 心迷はす 心なれ 心に心 心ゆるすな とあるぞ。
 
さて、この歌は兵法家伝書の活人剣(かつにんけん)の部に引用され、宗矩の解釈がなされている。
 心こそ(妄心(もうしん)こそ)
 心迷わす(本心を迷わす)
 心なれ(妄心(良くないこころ)であるから)
 心に心(妄心に本心)
 心ゆるすな(妄心に本心をゆるしてはいけない)
不動智神妙録によれば、本心妄信とは・・・、
本心というのは心が一所に止まらず、身体全体に延び広がった状態、
妄心とは、これは何であろうと思い詰めて、一所に固まってしまう心 のことであった。
宗矩は、さらに踏み込んだ解釈がなされ、妄心(血気・私の心)は皆、何ごとをやっても邪(よこしま)である。この邪の心があると兵法も負けるであろう。何をやっても上手くいかない。一切がみな道理に違う、本心を悟って本心のままに行えば、何ごともすべて順調にいくはずである、と説いています。(完)

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