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合気術-早島正雄の場合6

(補足説明-承前)さて、導引が文献に現われるのは、現存する最古の医書である『黄帝内系』が最初です。同書『素問』の異法方宜論(さまざまな方法と方法の理論)の項に、当時の医療措置として五方病治不同(5つの処方箋で病気を異なる治療法で治療する)があげられ、その一つに導引按蹻(あんきょう)があります。とは気を和しめること、とは体を柔らかくすること、とは皮肉をもみさすること、とは手足を素早く上げること、を意味します。また、同書『霊枢』病伝篇では、導引行気(こうき)が筆頭にあげられています。なお、ここでは導引は息を吐きながら体を動かす、行気は息を吸いながら体を動かすという区分になります。清の時代の呉尚先は「呼吸吐納、熊経鳥伸の八文字こそ導引法」とまとめました。これは現代気功でいうところの静功と動功であり、呼吸の調整法と熊や鳥といった動物の動きをまねることが、すなわち導引である、ということです。

また、研究者によると導引を含む気功の起源は、春秋戦国時代以前であり、民間に伝承された各種健康法から発達したもので、道家(哲学思想の一学派)の功夫や道教(宗教的組織)の一方法とすることはできないとしています。清代の整理によれば、道家の宗旨は清浄衡虚(心を浄化し邪念を払い、中庸を守り心を静める)であり、いわゆる吐納導引などの術とは異なり、長生を求める神仙思想と道家の無生(生命はない)・斉生死(生と死は一体)の説とは全く異質である、とされているからです。また、道教自体にも多くの派が存在し、練功(内丹術)を行うのはその一派に過ぎないのです。(ここまでの補足説明は、『中国気功学(東洋学術出版社)』を参考にしています。)(補足説明-続)

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