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極意秘伝のはなし29

10先の勝ち
これは、心を先にして勝つことをいう。
柔を習う前でも人と勝負を論ずる者は負けるとは思っていない。そうであるが、自分を知らないで無理に掛かって負けても言い訳する。
自分が負けることから、計略を練ってこれで勝とうといろいろな所作を覚えても、心を収めることを教えていなければ、無理に技で勝とうと思っていると、敵を引き担ぎ倒し、突き倒すほどの大男を見れば、早、心を負けにし、力量も備えていると聞いては、心から負けてしまう、見てとらわれ、聞いて驚きなえてしまうのである。体が小さく弱いらしいと見聞けば、たやすく勝つと思ってしまう。あなどるも、又一つの負けである。小弱であっても心を正しく習い得て、先の気を見、前にはかり(工夫して)勝負をしようとする者は、どこかしら外見に現れるものである。

人の心、外見によらないことは、世間に明らかである。とにかく心が定まらず、見聞に恐れをなし、あなどり理を知らない、これで技を使おうとしても負けである。物事の道理を踏まえ工夫して、心を極めることが先の勝ちである。当流の柔には先の負けを為形(しかた)で教える。負けないように自分を慎めば、例えば、樊噲(ばんかい)・張飛・項羽といった強勇にも、三四歳の小童の心をもって対するほどの心持ちが得られる。強弱に対し工夫する心がけがなければ負けである。

当流の柔の考え方には敵を見るというものはない。自分に負けないようにすれば、敵は勝つところがない。人に勝つ事だけを教えるのは無理である。生まれついた心で勝ち、習い得て勝つことによって、勝ちて勝つというのである。負けて勝つという心は全くない。だが、したがうという事もある。これは強弱之理によって、時に工夫することである。口伝あるべし。

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