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鶴山先生と久先生9

「鶴山先生と久先生6」で、「鶴山先生は返信の準備をしていましたが、発送は自粛しています。」と書きました。先生のメモを整理すると、およそ次のような内容になります。
武田惣角は自身について大東流合気柔術の宗家は名乗っていないし、息子である時宗に皆伝を出しているわけではない。大東流の宣伝のためという目論見はあったにせよ、唯一の皆伝者であることには違いがない。大東流を個別技法で見れば、それぞれ第一人者がいて、柔術の達人もたくさんいる。そんな中、柔術系の人たちが知らない技法を含め大東流の全容を引き継いだのだから自覚を持って対応して欲しい。

さて、鶴山先生と久先生の関係で言えば、
鶴山先生は社会的儀礼について普通の方以上にしっかりやる先生でした。
久先生にも礼儀を尽くしています。しかしながら、昭和53~54年にかけて、鶴山先生の気分を害するような活動が続き、さらに久先生からお説教めいたはがきなどが来ることで、腹にすえかねていたようです。人はいったん不信感が生まれるとなかなか脱却できません。社会的儀礼とは別に本人を前にすると、大人の対応が難しかったのでしょう。元々ケンカ早いと言われている先生でしたから、なお難しかったのだと思います。普通の付き合いなら距離を置けば済むことですが、師弟関係にして、当時一流の朝日カルチャーセンターの講師、つかず離れずという適当な距離感を維持することが困難だった、ということでしょう。

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