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極意秘伝のはなし35

18我を知る
柔ことごとく習得し、所作・技から放れた後、自然に自分の心に備わって、諸事を心のようにして、自分と勝負を考え見ることを、我を知るという。これは当流の鑑(かがみ=手本)である。この「我を知る」をもって、自ずから非を改め、朝の負けを夕に勝ち、今日は昨日の我に勝ち、自分と自分の悪を去って、自分に美を加えるのである。自分に勝って敵にこだわることはない。この心は肝要である。
ただ武士たる者は、人に勝たねばならないという心は、ないことはないのだが、玉は磨かなければ光らないように、仮に磨くとしても、磨き方が悪ければよく光らず、よく磨けばより輝くものである。
よい心に生まれついた者であっても、教育が悪く、無学で道理を知らなければ、心が悪におおわれることに気づかず、自分から心屈して諸芸を捨てることになる、残念なことだ。当流の鑑、よくよく工夫して口伝を聞くべきである。
 
19気・機・器の用
喜・怒・憂・思・悲・恐・驚、これを七道の気(七情=しちじょう、とも)といって、人に定まってある気である。この気をよく収めるため、気を第一とするのである。これを良くしないと、心を正すことはできない。機用(心の作用)の兆すところをよくして、時にはかり、移りしたがって、器用(体を動かす)の所作・技を出し、陰陽の理気をもって、勝負する。詳しくは八十二気で教える。禽獣魚虫の気を考え見ること、七十二気(二十四節季を3つに分けた)にある。柔は気を専らとしているから、これは至極の習いである。気は中和の気である。口伝

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