柳生新陰流兵法位許状-大坪指方先生の手紙から(上)
昭和56年2月6日付け大坪先生(当時75歳)から鶴山先生あての手紙を紹介します。鶴山先生は大坪先生から新陰流兵法の指導を受けていました。その際の質問に書簡で答えたものです。大坪先生はご自身の新陰流兵法を後世に伝えるべく準備されていたようで、その意思表示をされています。見どころは、伝位・段位との比較と、柳生新陰流兵法位許状(くらいゆるしじょう)のひな型です。
冠省 早速ながら先日おたずねの件、右ご参考までに送ります。
柳生家では、江戸と尾州と形が変わっていましたが、全面統一して出そうと思っています。
一、初傳 大 轉 初・二段
一、中傳 小 轉 三・四段
一、後傳 天狗抄 五段
一、奥傳 天狗抄 六段
一、目録 目録 七段
一、免許 皆傳 八段
一、印可 師範家より一人だけ許す 下條先生印可九段
準初傳は大轉(おおまろばし)と書きません。今回は初傳から出します。なお、師範家(宗家)は、時により控宗家として一世一代に一人だけ「師範印可」を出します。この時は祖先の直筆の傳書に奥書をして必ず添状(理由)を書き添えます。すなわち小生の場合です。(厳長先生の代は私だけです。)
(参考)尾張柳生の中興之祖長岡桃嶺(房成1763~1849)の修行過程は次のとおりでした。
入学-大転-小転(こまろばし)-天狗抄-奪刀法-授書-打合者-免許-印可
なお、長岡家は尾張柳生家の兵法補佐家で、桃嶺は第十代柳生厳久の師範役でした。
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