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大東流と無刀取り4

「無刀取り」については、柳生宗矩(当時62歳)が『兵法家伝書(寛永9(1632)年)』において、その目的や心持ちを詳述していますので、先ずこれを紹介します。

『兵法家伝書』の「活人剣(かつにんけん)下」に無刀の巻という項目があり、その大意は次のとおりです。
 無刀の巻
無刀の教えとは、必ずしも人の刀を取らなければいけないということではない。また、刀を取って見せて名誉にするものでもない。自分が刀を持っていないときに、相手に斬られないようにするための技であって、取って見せるぞ、などということは本意ではない。

 相手が取られまいとする刀を是が非でも取ろうとするのではない。このような場合は、取らないのも無刀の技である。刀を取られまいと思っている相手はそこに気をとられ、人を斬ることは出来ないであろう。斬られなければこちらの勝ちであり、人の刀を取ることを芸とするのではない。自分が刀を持っていないときに、相手に斬られないようにするための教えである。

 無刀というのは、人の刀を取る芸ではない。いろいろな道具を自由に使うためにある。刀がないときに、人の刀を取って自分の刀とすることが出来れば、自分の手に持つものは何であっても役に立つだろう。例えば、扇であっても人の刀に勝てるであろう。これが無刀の心がけである。刀を持たず、竹の杖をついて歩くとき、長い刀で斬りかかられても、竹杖であしらって、刀を奪うか、奪えなくても相手を押さえて斬られなければ勝ちである。この心持ちを無刀の本意と考えるべきだ。(続)

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