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大東流伝承の謎5

Q7:旦那芸、武田時宗氏の解釈とは
A7:時宗氏は、惣角が榊原鍵吉の撃剣興行を見習って旦那芸を覚えたと語った。惣角が榊原鍵吉の門人であったという説は、これを言いたかったがためのものであろう。今後、時宗式に技からの裏付け調査が必要になると思う。
Q8:武田惣角はなぜ人によって技の系統を変えて指導したのか
A8:大東流は武家社会の世襲制を前提に作られた。明治以降は、社会的身分等にこれをあてはめ指導した。西郷頼母の示唆もあったハズだ。地方の官公庁のトップ(地方の名士)であっても、下級武士扱いというのは、今の感覚と合わないが、当時はそういう状況であったということだ。
Q9:堀川幸道の技の特長は
A9:十手・鉄扇・傘取もやっている。後期は、極意技である「旦那芸」が多い。
堀川親子は柔術も習ったハズだが・・・主に柔術を簡易化した合気柔術をやっている。陽の合気の達人である。
Q10:植芝盛平はどうか
A10:盛平も「旦那芸」(アトラクション)をやっているが、堀川幸道(小野派系)の技とは違う。大正11年以降、すなわち、武田惣角から江戸柳生系合気柔術を習った以降のことである。例えば、杖を脇に横向きに持ち、数人に押させる技、頭を押さえさせる技(堀川の頭の合気とは異なる)、座したまま両手を押さえさせそのまま投げる、などである。(完)

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