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三蔵と大東流(下)

もう一つの「律」は律蔵と呼ばれている。仏教では僧というのは複数形の言葉であり、一人で居るのは僧とは呼ばれない。一定の場所に三人以上集まって初めて僧と呼ばれるのである。例えば、修行のために行う托鉢にも、種々の規則があって、本来三人以上でなければならない。もし一人でお鉢を持ってお金などもらって歩いたら、それは僧ではなく乞食になる。僧は三人以上の集団生活であるから、一定の生活上の掟が必要となる。一人で生活するなら掟は必要ないが、集団生活をする以上多少の不自由は忍ばなければ成り立たないものである。そこで、決して喧嘩をしない、食事は2回とか…いろいろな規則が生まれた。こういうのもが発展して戒律となった。戒とは「してはならない」ことであり、律とは「せねばならぬ」ことである。こういった戒律が後世、細かく出来てくるが、これは道徳ではない、ちょっと趣が異なるのである。すなわち、律蔵は仏徒の戒律をとりまとめたものである。
もう一つ「論」は論蔵と呼ばれている。釈迦の言われたことや、経典に解釈を試みたり、注釈を加えたりした、いわば教義を注釈研究したものを論蔵というのである。紀元前後、西洋より早い時点で膨大な仏教の哲学大系が出来上がっていた。

大東流では「経」すなわち縦糸は四種(居捕・立合・半座半立・後捕)で、「律」を1~5までの段階5か条とし、これを横糸とするのである。「論」は天人地の理合、合気之術・合気柔術・柔術なのである。

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