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新陰流兵法目録事2

絵目録について
足の向きが絵では判らぬよう隠してあることがわかる。昔から武術は、足の動きを見れば判るといわれている。ひざ・足先・武器の位置は一体でなくてはならない。陰流では陰陽の足の捌きが大切なことをこの絵で示している。絵目録は第三者の目に触れる可能性が高いからだ。
 
三学円之太刀について
これは、上泉伊勢守が晩年に創始した形と考えられる。伊勢守の教え方は、最初に陰流、次に三学円之太刀をやっている。石舟斎時代になって、陰流をやめて、三学円之太刀が最初の技となる。このことは、伊勢守時代は「新陰流」であり、石舟斎時代は「新陰流兵法」となっていることでも明白である。石舟斎は、金春流の竹田七郎との交流を通じて、能の伝承形式(序破急)や初伝の中に奥伝が入っているという形式を踏み、伊勢守の教伝方を変えたのである。この考え方をしっかり引き継いだのが宗矩であった。宗矩も宗冬も金春流の能楽に関係が深かったことを見てもそれがわかる。尾張柳生家はこの点関心が薄かったのであろう。
 
一刀両段
仕太刀の姿勢に注意すべきである。現在残されている形とは大きな違いがある。肩を突き出し姿勢を前傾している。この姿勢が石舟斎時代、すなわち介者剣法の特長である。素肌武術以前の形である。

絵目録(技術解説抜き)出典「実録柳生宗矩(昭和46年山田野利夫著)」
影目録 第三 参学 出典「正伝新陰流(柳生厳長著)」


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