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鶴山先生と久先生8

10月31日「本日の朝日カルチャーセンター合気道講座に出かけましたところ、大久保駅付近で倒れかかりましたので、引き返しました・・・」と欠席理由について報告するはがきが出されています。その後、

11月7日(水)大久保の路地の終りを久琢磨が杖をついて歩いていた。後ろに粟生(あおう)氏が行く。あいさつをするかと思ったら、しないで抜けていった。小生(鶴山先生)も隣を知らん顔で抜けた。本人は気がつかなかったのであろう。先週のはがきから見ると、適当な理由をつけて来ない日がある。やはり、道場で全員から無視されているのをよく知っているからである。
当日道場で「鶴山君、この前は香典のお返しどうもすみません。」と大きな声で言う。小生もあいさつしたが、後は知らん顔をした。この前の失敗、道場の端から手を振って「おくやみ」を伝えようとした、あきれた強引さだ。

さて、山本角義の話によると武田惣角は「久琢磨に免許皆伝を出したのは、久は新聞屋だから。」と言ったそうである。今の朝日新聞に役員個人の力はあまりないが、戦前の久には職権が相当にあった。宣伝にもなるというもくろみもあった。他の高弟達が北海道あたりに集まっているのに対し、大阪から新たな展開が生まれるとの期待もあった。ところで、久先生と山本角義を会わせたのは私(鶴山先生)が最初で最後であった。住友(三角)ビル48階の教室である。山本角義は「武田先生から久先生のことはよく聞かされていました。」とあいさつしていた。

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