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骨法の堀辺が来た(続)5

(承前)
①手解(てほどき)なる言葉は江戸時代に柔術諸流派が武術解説の用語として使っていた について
手解とは、全く何の予備知識もない初心者のための解説に必要な言葉であって、これが武術解説書で使われるようになったのは、明治時代に入ってからである。堀辺氏は、いわゆる(世間一般に言われる)「手解」と記しているが、筆者が調べた限りでは江戸時代の武術用語として一般的なものはではない。
江戸時代は、一般庶民は捕方柔術はもちろんのこと「サムライ武法」は、その性質上練習(鍛錬方法)さえも見ることは出来なかったのである。つまり、これら武術を習得できるのは武士階級及び捕方役人であって、一般庶民とは違った次元で生きている、現代風に言えばその道のプロ集団だけだったのである。彼らには武器の使用が公認されており、その扱い方にも熟知していた。彼らはそれぞれの流儀により教育(養成)されるのであり、一般的な(共通の)手解なるものは必要ないのである。
「千年の歴史に輝く中国拳法」と松田隆智が宣伝してきた“中国拳法”ですら、その解説書(初心者向けの入門書)が出現するのは、日本の明治時代に入ってからであった。もし、堀辺氏が主張するような「手解」なる言葉が記載された文献があるというなら、日本武道史においても社会的意味においても重要な意義があることなので、是非発表してもらいたい。(続)

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