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鶴山先生と久先生4

昭和54年2月27日付け蒔田完一から鶴山先生あてのはがき
(略)日本伝合気柔術を名乗られたようで宗家は久先生の由、最近訪れた近藤勝之氏より聞きました。(以下略)

昭和54年3月2日付け久先生から鶴山先生あてのはがき
冠省 朝日カルチャーセンター横浜の合気道講座のリーフレット(黄色)を大阪方面の小生の門下に送ってもらったらしく、某氏(蒔田完一のこと)より、鶴山氏はなぜ大東流合気柔術の免許皆伝になったのかと、非難してくる者が多く、いちいちある事情のため、彼は日本伝合気柔術の免許皆伝ということになっているが、大東流合気柔術ではない。このあたり日本武道館主催の古武道演武大会にも折角東京に戻りながらも(小生は)出場しないのだ、と弁解しています。一人はめんどいから、関西方面の小生の門下には宣伝しないでください。
小生は故武田先生に師弟の義理をつくすつもりで、大東流をやっているので、日本伝云々には関係がありません。いつか貴君に頼まれたときも文章を訂正して返したつもりです。

文面をそのまま解釈すると、かなり衝撃的な内容です。
ところで、鶴山先生は電電時代から会報等を関係者に送付していました。朝日カルチャーセンターの講師になってからは講座のリーフレット等も送付し宣伝と近況報告にしていました。はがき中で取り上げられたリーフレットには大東流合気柔術の免許皆伝という記載はなく、講師:日本伝合気柔術免許皆伝 鶴山晃瑞とあり、講座内容の説明として「本講座は、大東流の柔術、合気柔術、合気之術の三大系の技法を集大成したものです。」とあります。
はがき抜粋にあるとおり、蒔田完一氏は鶴山先生を直接非難していませんでしたが、久先生をかなり突き上げていたようです。困った久先生のお願い(泣き言)だと思われます。「彼は日本伝合気柔術の免許皆伝ということになっているが、大東流合気柔術ではない。」この文意は、「日本伝合気柔術は大東流3大技法の総称ですから、柔術や合気之術を含む意味において、大東流合気柔術ではない。」とも解することが出来るので、苦心の弁明だと言えます。皆伝の口伝を知る後世の我々からみると、その中身をしゃべれない久先生の辛い立場がわかるような気がします。先師武田惣角の命(ある事情)、を守り、忍・忍・忍だったのでしょう。

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