見出し画像

鶴山先生と久先生2

朝日カルチャー合気道講座は小生の努力で成功していた、高橋取締役は仕事(講座)が成功しなくては、石井光次郎に顔向けできないと、当初、大変心配されていた。
2年後午後の講座を新設することになり、磯山部長と話し合いが持たれたが、この講座は久琢磨とは関係がない(謝礼金なし)とのことで、準備が進められたのである。
後日、朝日カルチャーセンターの蒲生社員から、このときの契約書の稟議の際、(久琢磨のことに配慮しなかったため)ひどく怒鳴りつけられ、(なぜだかわからないので)大変驚いた、と聞いている。

このような事情を久琢磨は全く知らなかった。朝日カルチャーセンターから依頼されたので、これを受けた、との認識だったようだ。また、久先生は毎回必ず出席するわけではなく、また、来ても途中で勝手に帰ったり、あいさつだけで帰ったりすることが多かったが、小生はそのことをカルチャーには黙っていた。

久琢磨先生と大坪指方先生
昭和54年11月14日(水)今日は大坪先生が来る(月に1回)ことになっている。久先生が来るとまずいなと思っていた。トラブル(内容は不明)があって初めてだからである。
大坪先生と世間話をしていたら、久先生が来た、先生がトイレに行った間に、着物姿の大坪先生が新陰流兵法の集団指導を始めた。しばらくしてトイレから戻ってきた久先生は、やはり、と思ったのか、帰る仕度をしていた。今日はカバンに一杯重そうな資料持ってきたので、普通なら午後まで居そうなところだ。大坪先生が久先生を見てあいさつに行くが、久先生は知らん顔でフン、という顔つきであった。大坪先生は驚いたようだったが、すぐ指導に戻った。いつの間にか久先生は帰っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?