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合気道と合気柔術2

植芝合気道の特色は、戦時中までやっていた「合気柔術」から柔術を極力除いて「合気」のみを取り上げたものである。具体的には柔術の極めをなくしたものである。その意味で簡化太極拳と同一性格のものである。昔、日清戦争後、明治29(1896)年ごろ「剣舞(紋服袴姿で、詩吟に合せて日本刀を振りかざして行う舞踊)」というものが流行した。太平洋戦争中までは各地で盛んだった。丁度、合気道と同じで、剣道はキツいが剣舞ぐらいならやってもよい、という案配であった。「剣舞」とは、技法を剣道から取り、舞は日本舞踊というミックスである。なので剣道の先生から見れば「剣舞」は剣道ではない、全く剣道とは性格も性質も違うものだといわれ、日本舞踊の先生からすると、あれは日本舞踊では全くないといわれる。剣道と日本舞踊の間をいく極めて中途半端なものであった。
現在日本で流行している太極拳協会系の太極拳なるものは、中華人民共和国になってから制度化された簡化太極拳であって、老人でも出来る健康体操として作られたものである。本来の内家拳の太極拳(古武道)とは違うものである。内家拳である以上必ず「発勁(エネルギーを発生させ接触面まで作用させる技法)」がなくてはならないが、簡化太極拳にはそれがなく、太極拳の代表的な形を真似ているが、その目的は呼吸法に過ぎない。単なる呼吸体操では普及しにくいと思ったからか、昔の貴族の内家拳を一般大衆にもやさしく習うことができる、と宣伝したのが簡化太極拳である。また、中国が簡化太極拳を必要とした最大の目的は、毛沢東のレポートにもあるとおり、経済的な医療対策として、老人・病人にもできる健康体操、予防医学の一環となるものであった。簡化太極拳は北京の病院でデータをとることから始まったのである。

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