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極意秘伝のはなし34

17心の勝ち
まずは、心の負けを考えることが大事。勝つとは、人の心に本悪はない、気変の欲によって悪となるのだから、本心の天の理にしたがうことが心の勝ちなのである。心が変じて邪になるのは、全く理がないから負けなのである。

では、心を収めよと教えられても、どこに収め置けばいいのだろうか。思うこともすることもないときは、聖も愚ない。すでに心が動いて用をする時は、千万里の優劣がある。だから動をもって収めるといって、動き様を良く動かすのである。動くということは、収まることがないのである。動静の有無をよく工夫して、心の習いを得て、理にしたがって動くところ、これを収まるというのである。物が起った後に、それは極まる。極まったら又起こる。この起こるところを極めることをして、極めるというのである。極まって起こることがなければ、何を極め何を収めるのだろうか。心は動をもって用をなすものである。

太極の一気が動いて、陰陽五行の形を現わし、万物が生じる。天は陽、常にまわって止まることはない。地は陰、常に静である。人の心は陽、体は陰、心は常に動いて止まることはなく、体は静にして心にしたがって動くものである。天に日月の跡(あと)があるように、心にも動静の目盛り(程度)がある。その目盛りによって邪正をわきまえ、勝負を知ることが心の勝である。心の動静の目盛りは、理にしたがって時にはかると、いちいち見るものに気をとられ、聞こえることに驚き、例えるならば、遠近緩急を考えないようなものである。速いことのみを心の勝ちと思ってはいけない。技と道理にしたがって油断なく対応することを心の勝ちというのである。昼夜怠らず寝ているときも、例え死んでも勝つという心を忘れてはいけない。心の体を現わさないようにしては収めるべきところはない。

師の教えは、心の体を目前に取り出し、その心をどのように収めよ、と教えるがゆえに、心を収めて用をなすというのである。これが当流の柔の大事である。心を意をよく考えなさい。心は天性の本心、意は心から起こって悪になるものである。心意の口伝後に著わすものである。

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